西加奈子『くもをさがす』が教えてくれる、自分と向き合うことの大切さ「この身体も、この恐怖も、たった一人の私だけのものだから」
2004年に『あおい』でデビューしたのち、直木賞を受賞した『サラバ!』をはじめ『さくら』『漁港の肉子ちゃん』『i』など、数々の作品を発表してきた西加奈子。ときに読者を温かく包み込み、ときに力強く勇気づけてくれる、彼女の物語を通して救われた人も多いはず。待望の最新作は、自身初のノンフィクション『くもをさがす』(河出書房新社)だ。そこには、語学留学先のカナダで乳がんの診断を受けてからの日々が綴られている。本作を書こうと決めた理由、カナダでの生活を通して感じた日本との違い、決して穏やかではない毎日を支えた本や音楽についてなど、作品に込められた思いを伺った(編集部)。
自分の中で起きていることを見逃したくない
――西さんはこれまでも小説を通じて、〝生きる〟とはどういうことなのか、他者と世界とどう繋がっていくのか、ということを描いてこられたと思います。今回、乳がん治療の経験を通じて初めてのノンフィクションを書いたことで、何か意識の違いはありましたか?
西:今回の作品はもともと出版する予定はなかったんです。乳がんを宣告された日から、久しぶりに日記をつけ始め、それだけでは足りないと思ってからは、後追いするように醸造した言葉を加えていった。それは〝書く〟という作業が、いずれ私を救うだろうという予感があったからで、とにかく自分自身に向けて書いたものだったんです。
だから、小説とは違うものになるだろうと思っていたんですが、そうではなかったんですよね。私はこれまでも、ずっと、自分のために小説を書いていた。もちろんご依頼の期待に応えようという気持ちはあったし、読者の皆さんにも読んでほしかったけど、でも、私はいつだって自分自身を救うために書いてきたのだなあ、と改めて感じました。
――これまでの小説と同じく、読んでいるこちらも何か救われていくような心地のする作品でした。安易に「強いですね」と言うのは違うとわかっていながら、西さんの生きる力の強さも感じられて。
西:たぶん、私はめちゃくちゃケチなんですよ。長年筋トレやランニングを続けているので、意志が強いと言ってくれる方もいますが、単に、せっかくつけた筋肉を落とすのがもったいないんです。治療中もそれと同じモチベーションで、自分の中で起きていることを何一つ見逃したくない、と思ったんです。その結果、「私の身体は一つだけなんだ」ということを、とことん噛みしめることができた8か月間でした。
私と同じ、トリプルネガティブ乳がんでステージⅡB の患者さんは他にもいるだろうけれど、私が今味わっている恐怖は私だけのもので、一つとして同じものはない。そして、それを受け止めて表現できるのも私だけなんだから、全部書き残しておかないともったいないと思ったんです。だから、強いと言っていただけるのは嬉しいけれど、自分では〝欲〟が強いなという気持ち(笑)。
――刊行予定はなかったとおっしゃいましたが、一冊の本になってみていかがですか?
西:ええ作品やなあ、って思います(笑)。ものすごく、正直な作品でもありますね。私はこれまでも、小説というフィクションを書きながらも嘘をついているという感覚はなくて、物語が要請してくるもの以外は書かず、とにかく正直であろうと心がけてきました。
今作では、それ以上に、自分自身のことを心から愛することができるようになったんです。私は大阪人だし、世代的にもつい会話に自虐を織り込んでしまいがちだったんですが、「私最高やん、めっちゃカッコいいやん」って堂々と言えるようになったのというのは、とても大きな経験だったと思います。
――その変化は、どんなふうに訪れたのでしょう。
西:治療中の8か月間、友人たちの協力もあって、私は自分のことだけに集中していればよかったんです。「とにかくあなたは自分が生きることだけ考えて」とみんなが助けてくれた。もともとの友人たちや家族だけでなく、新しく出会えた素晴らしい人たちに支えられて、自分自身にとことん向き合い続けることができたというのは大きかったと思います。
ハプニングだらけで、手術直前に名前を間違えられて連れていかれるとか、その他にも小説ならつくりものっぽくて書けないだろうこともたくさん(笑)。でも、それ以上に美しい瞬間がたくさんあったんです。それらを全部正直に書いてゆくと、「自分ってちょっと幸せすぎる?」って思うくらい。でも、嘘をつかず、自虐に逃げることなく、「それが今の私だから」って、堂々と思えるようになりました。
――確かに、本作を読んでいると西さんの周りには、羨ましくなるほどの愛と優しさが溢れています。でもそれは、西さんがこれまで生きてきた証だし、たぶん気づいていないだけで読む人たちの周りにもきっと、愛して助けてくれる人たちはいるんだろうなと思いました。
西:そう思います。カナダには「Meal Train(ミール・トレイン)」という、友人たちが食事を届けてくれるボランティアサービスがあって、私は抗がん剤治療を始めてから術後半年近くまで利用させてもらったんですが、参加してくれた人たち全員が日頃から親しい相手というわけではなく、中には2~3回しか会ったことのない方もいました。
もちろん、参加をお願いして「ごめん、今は無理!」と断られることもありましたしね。「もしよかったら参加してくれへん?」って気軽に頼める人間だったのは、私の得なところだと思うけれど、きっと自分から動けば、案外手を差し伸べてくれる人はたくさんいるはずです。