漫画は「嘘」ではないーーマンガ大賞2023大賞『これ描いて死ね』が伝える「本当のこと」
フィクションだからこそ伝わる“本当のこと”
なお、この現代版『まんが道』ともいうべき作品で、作者が(主人公たちの成長と並行して)描こうとしているテーマは明らかである。それはひと言でいえば、“漫画は「嘘」ではない”ということだろう。
たとえば、物語の序盤で、(正体がバレる前の)手島が相に向かって、畳み掛けるようにこんなことをいう場面がある。
「漫画なんてなんにもなりません! 荒唐無稽、乱暴狼藉、無意味の洪水です。ただその場凌ぎの一時的な刺激があるだけで、あなたをどこにも連れては行きません。時間の浪費、無駄なのです。面白さ、のために、あの手この手でありもしないことを描いて、『この作品はフィクションです』の一言で済ますような、無責任な人達が描いているのです。端的に言えば、全て嘘なのです」
人生をなぞるように漫画を読んできた相は、当然のように「漫画は嘘じゃないよ」と反論するのだったが、前述のように、彼女の目の前にいるのは、実は彼女をこれまで何度も励ましてくれた、イマジナリー・フレンドの生みの親なのだ(逆にいえば、手島は手島で、この時はまだ、自分の漫画が現実世界の誰かを救っている、ということを実感していない――ともいえる。こうした捻りの効いた演出は、本当に巧いと思う)。
また、第6話(2巻所収)で描かれている、藤森心と母親のエピソードもいい。気難しい母親に漫研に入っていることをなかなかいえずにいた心が、“自分の願い”を漫画にして伝えようとする場面が出てくるのだ。その作品のナレーション(モノローグ)として、彼女はこう書いている。
「私は漫画が一番好きなの。(中略)みんなといると苦しくないし、私が私でいられるような気がします。目の前ではきっとこんな風に喋れないから、漫画で失礼します。“みんなと一緒に漫画を描かせて下さい!!”」
心がなぜ母親の「目の前では」喋れないようなことを「漫画」なら伝えられると思ったのかといえば、それはもちろん、「私が私でいられる」漫画の中に描かれているものこそが、彼女にとっての“真実”だからに他ならない。
いずれにせよ、漫画とは――いや、フィクションとは、「全て嘘の話」などではなく、「真実が隠された物語」のことであり、その“真実”――すなわち、作者のリアルなメッセージは、時に読み手の想像力をきたえ、時に過酷な現実社会を生き抜くための選択肢を増やしてくれるものなのだ。
一見可愛い絵柄に惑わされる(?)かもしれないが、とよ田みのるの『これ描いて死ね』は、そういう“本当のこと”が描かれている、極めて骨太な漫画なのだと私は思っている。