吉祥寺はなぜ「漫画の街」となったか 『エイジ』『GTO』『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』まで名作とともに考察
新宿や渋谷では生まれない物語
マキヒロチの『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』の主人公は、吉祥寺で不動産業を営んでいる、やや風変わりな双子の姉妹である。物語の毎回のパターンは、彼女らのもとに「この街に住みたい」という客が訪れる――というものだが、姉妹が勧めるのは決まって吉祥寺“以外”の街にある物件ばかりだ。「住みたい街ナンバー1」の幻想を逆手にとったなんとも面白い切り口だと思うが、かといって作者は吉祥寺を否定しているわけでもない。むしろ、昔ながらの吉祥寺を愛している、とさえいえよう。たとえば、物語の冒頭で、双子の姉妹は、2014年に閉館した「吉祥寺バウスシアター」(註)の建物を寂しげに見つめながら、こう呟くのだ――「吉祥寺も終わったな」と。
このセリフに心から共感した読者は少なくないだろう。先ほど私は、「サブカル文化の発信地」としての吉祥寺は90年代末あたりまでだったと書いたが、そうではなく、この時(2014年)にこそ「終わった」という見方もできなくはないのだ。それほどまでにバウスシアターは吉祥寺の文化的な象徴であった。
しかし、その一方で、後に似たような雰囲気を持った映画館(「アップリンク吉祥寺」2018年~)もオープンしているし、他にも、個性的な古書店「百年」から、漫画家たちに人気の居酒屋「闇太郎」にいたるまで、さまざまなジャンルのサブカル文化を育む“場”が吉祥寺からまったくなくなったというわけでもない。五日市街道沿いにある画廊「リベストギャラリー創」が、近年では漫画家たちの個展のメッカとなっているのも、多くのファンが知るところだ。
いずれにせよ、繁華街である前に閑静な住宅地である吉祥寺という街には、新宿、渋谷、池袋のような派手さはないかもしれない。ゆえに、スケールの大きなアクション物や、謎めいたアウトローたちが蠢くサスペンスなどの舞台にはなりにくいだろう。
だが、そこには、都心に近い緑豊かな街を愛する人々の暮らしがあり、いわゆる「中央線文化」の香りが完全に消えたわけでもないのだ。そういう環境の中でしか生まれない「日常のドラマ」というものは間違いなくあるだろうし、限られた1つの空間の中に、住居と商業施設、公園と飲食街などがコンパクトにまとまっている舞台設定を求める漫画家が後を絶たないというのも、理解できない話ではないのである。
(註)かつて吉祥寺にあった映画館。長年にわたり、国内外の良質なインディペンデント作品を上映し続け、数多くの映画ファンに愛されたが、2014年6月10日閉館。音楽ライブの会場として使用されることもあった。