吉祥寺はなぜ「漫画の街」となったか 『エイジ』『GTO』『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』まで名作とともに考察
隣接する表現ジャンルである映画や小説と同様、漫画においても、「街」の存在が物語の中で重要な役割を果たしている場合が少なくない。
とりわけ、新宿、渋谷、池袋といった東京の繁華街を舞台にした物語は数知れないが、そうしたいわゆる“盛り場”からは少し離れた場所にある吉祥寺もまた、多くの漫画の舞台になっている街の1つだ。
若い表現者たちが集う街
いまでこそ、吉祥寺といえば、「住みたい街」のランキングで必ず上位に入っているオシャレな街、という印象が強いかもしれないが、90年代末(もしくはゼロ年代初頭)あたりまでは、どちらかといえば「サブカル文化の発信地」として広く知られていたように思う。そもそも昔から中央線沿線には、高円寺や阿佐ケ谷など、サブカル臭の強い街が点在していたわけだが、吉祥寺にもプロの漫画家やミュージシャンのような“表現者”を目指す若者たちが集まってきていた時期があったのだ。
たとえば、2000年に発表された花村萬月の小説『吉祥寺幸荘物語』(文庫化にあたり『幸荘物語』に改題)に、こんな一節がある。
吉祥寺という街には、僕や円山君のような奴が無数に群れている。人気ブランドというのだろうか、平均して家賃は安くないが、勤め人には向かず、自分の才覚で一旗あげようと考えている若い奴らが吸いよせられ、集まってきているのだ。
幸荘はそういった奴にとって伝説的なアパートである。幸荘の住人からは、幾人も有名人がでている。漫画家、ロックミュージシャン、俳優、イラストレーター、詩人。第一線で活躍している人々を輩出しているのだ。~『吉祥寺幸荘物語』花村萬月(角川書店)より~
そんな幸荘で暮らしている「僕」は小説家志望の若者だが、(繰り返しになるが)じっさい90年代末あたりまでは、吉祥寺はある意味ではこうした「自分の才覚で一旗あげようと考えている」若い表現者たちが「吸いよせられ」る街だったのである。
「漫画家の街」としての吉祥寺
吉祥寺が「サブカル文化の発信地」として最も盛んだったのは、おそらくは70年代から80年代半ばにかけてのことだったろう。ロック喫茶、ジャズ喫茶、ライブハウス、映画館、アニメスタジオなどが点在し、雑貨屋、書店、古書店、レコード店なども数多くあった。『名前のない新聞』というその筋では有名なロック系ミニコミも吉祥寺発だ。
また、そうした動きに呼応するかのように、個性的な漫画家たちも集まってきた。楳図かずお、一条ゆかり、大島弓子、江口寿史、大友克洋、いしかわじゅん、西原理恵子といった名だたる漫画家たちが、吉祥寺に住んでいたり、仕事場を持っていたりすることで知られている(注・現在は吉祥寺を離れている人もいる)。これはいったいどういうことかといえば、たぶん、前述のように古書店やレコード店などが多い(=珍しい資料が手に入りやすい)というだけでなく、適度に大都市(新宿、渋谷など)から近く、適度に緑が多い(井の頭公園など)という住みやすい環境が、漫画家たちの創作活動にはプラスにはたらいたということかもしれない。そして、彼らの一部はそんな(自分たちがよく知っている街である)吉祥寺を舞台にした物語を描き、それを読んだ多くの読者たちもまた、“漫画の中の吉祥寺”に憧れを抱くようになったのである。
元暴走族のリーダーとギター少年がすれ違う街
それでは、具体的にどういう漫画作品が吉祥寺を舞台にしているのかといえば、『グーグーだって猫である』(大島弓子)、『吉祥寺キャットウォーク』(いしかわじゅん)、『エイジ』(江口寿史)、『ろくでなしBLUES』(森田まさのり)、『GTO』(藤沢とおる)、『電影少女』(桂正和)、『二月の勝者―絶対合格の教室―』(高瀬志帆)、『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』(マキヒロチ)といったあたりが比較的よく知られているところだろうか(江口寿史の作品については、はっきりとした地名は出てこないが、『ストップ!! ひばりくん!』も吉祥寺周辺が舞台だといわれている)。
なんといってもこの中で注目すべきは、「サブカル文化の発信地」や「住みたい街」といったイメージからはだいぶかけ離れている(ように思える)、いわゆるヤンキー漫画の文法で描かれた『ろくでなしBLUES』と『GTO』かもしれない。ただし、『GTO』については第1話を読めばわかるが、主人公である元暴走族リーダーの鬼塚英吉は、吉祥寺の街を彷徨いながら“これから自分が進むべき道”を探しており、そういう意味では、先に挙げた花村萬月の小説の「僕」と似たような存在であるともいえよう。また、個人的には江口寿史の『エイジ』(未完)を推したい。吉祥寺に住む高校生・赤木英児(エイジ)が、プロボクサーだった亡き父と同じ道を歩んでいくという青春漫画(ボクシング漫画)の傑作だが、物語の序盤での主人公は、ボクシングからは目を背けて(あるいは興味のないフリをして)、「パンクバンドで激しいギターを弾く不良少年」として描かれている。
作者がどこまで意図していたかは不明であるが、この設定は見事という他ない。というのは、あらためていうまでもなく、ボクサーにもロック系のギタリストにも、リズム感と攻撃性が必要だからだ。また、同作が描かれた80年代半ばには、「ギターを弾く高校生」というのはいかにも吉祥寺にいそうなリアルな存在であったし(現実世界では、いわゆるインディーズブームが盛り上がっていた時期である)、父親への尊敬と反発が入り混じる少年の初期衝動を表現する音楽は、やはりパンクロックでなければならなかっただろう。