『哲学の門前』著者・吉川浩満インタビュー:「素人」は哲学的な問題にどう向き合うのか?

吉川浩満インタビュー


――吉川さんが紹介されるご自身のエピソードも多彩ですよね。学生時代のカリフォルニア滞在にはじまり、北朝鮮に帰国した伯父や、フェミニズムに関連した読書会でのエピソード、「複業」をされている吉川さんの勤労日記など、本当にさまざまな経験を積まれてきたことがわかります。 
 
吉川:ただ、先ほどの話の繰り返しになりますが、それらは自分から積極的に求めていったものではないんですよね。あくまでも偶然に、交通事故的に出会ったものがほとんどです。ただ、だからこそ自分の中に残るものもある。逆に言えば、そういう偶然的な「遊び」の余地が生活にないと私はしんどさを感じるんです。 
 
 たとえば本についてもそれが言えます。今は編集者として人が書いた原稿を日常的に読みますし、それに関連した本を読むことも多いですが、まったく仕事に関係ない、これまでの自分が知らなかった世界の本を読むことを大切にしています。最近では、セバスチャン・サルガドの『GOLD』という写真集が面白かった。1980年代のブラジルの金鉱山で働く労働者たちが堀削を行う姿を撮った写真集で、本屋でたまたま目に入り、思わず「ジャケ買い」をしたんです。私はそのあたりの労働事情や時代背景についてまったく知らなかったのですが、さまざまな労働者たちの表情に思わず引き込まれました。 
 
――『哲学の門前』は「随筆」ということですが、学術書ではなくエッセイだからこそ、そうした交通事故的な要素をいろいろと取り入れられるのではと思います。 
 

吉川:エッセイのよさは自由なところですね。守らなければいけない形式があまりなく、内容に新規性を求められることもない。 
 
 論文となると違うわけですね。これまでに積み上げられた知見を踏まえた上で、そこに自分なりの新しい知見を付け加えなければならない。ただ、私自身は新しい知見を生み出すことよりも、「当たり前だけど大事なこと」とか「いまこそ思い出したいこと」を言い続けることに興味があるんです。たとえば、「火の用心、マッチ一本火事のもと」という夜回りの言葉がありますね。「火に用心すべきだ」というのはある程度年齢を重ねた人なら誰でも知っていることですし、知見としての新規性はありません。でも、当たり前すぎて忘れがちでもある。だから、家々が夕食の準備などで火を使う夕暮れどきなどに注意喚起するわけですね。私もそういうことを自分なりの表現で伝えていきたいんです。 
 

山本貴光氏とのコンビネーション

 ――文筆家・山本貴光さんについて、お伺いできればと思います。吉川さんとは大学時代からのご友人で、2004年に刊行した『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(朝日出版社)をはじめ、さまざまな共著や共訳著を出されています。山本さんとの関係については本書でも1章を割いて書かれていますが、普段はどのように執筆を分担されるのでしょうか。 
 
吉川:最初にだいたいの方向性をどうするかを話して、執筆をするパートを割り振って各々が進めるという感じですね。そしてお互いに書いたものを交換して、本としてまとまるように調整を進めていきます。 
 


――意見の齟齬はあったりするのでしょうか。 
 
吉川:あまりないですね。……というよりも、お互いにチューニングをし合っているようなところがある。これがなんらかの政策論争で賛成と反対の立場に分かれて、となったらバチバチっとなるかもしれませんが、本をどういう風にしたら面白いか、より良い方向を模索するという意味では一致しているので、齟齬がないのかなと思います。 
 
――山本さんはどのようなパーソナリティでしょうか。 
 
吉川:人の話を引き出すのがうまい人、とまずは言えると思います。私は人が話している時に、それを受けて自分の考えをつい言いたくなってしまうのですが、山本くんはそれをペンディングできる。もっと聞かせてください、という態度を自然にできる人です。 
 
 山本くんはいい意味で、あまり言いたいことがない人なんだと思います。なにかしら強く主張したいことがあると、それがその人の核となる。ただ一方で、自分の主張にこだわることは、その人の視野を狭める一因にもなりますね。山本くんの場合は、そのような枷がなく、さまざまなものを柔軟に吸収できるのだという感じがします。 
 
――吉川さんと山本さんのコンビは、「日本のドゥルーズ=ガタリ」と呼ばれることもあります。ともに哲学者である、ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリのコンビになぞらえられたものですが、吉川さんはこのふたりに喩えるなら、ご自身がドゥルーズで、山本さんがガタリだと書かれていますね。 
 
吉川:山本くんはその柔軟性ゆえに、多くの方向に話を広げるんですね。それは興味関心のおもむくままに、奇抜なアイデアを出し続けたガタリを思わせます。その一方で、ドゥルーズは方向を定め、ガタリのアイデアをうまくまとめた。私自身も方向を定めるのが好きなので、そんなふうに書いてみました。もちろん、自分たちがドゥルーズ=ガタリに匹敵する存在だなどと思っているわけではありませんよ。よく人から、山本くんがドゥルーズで吉川はガタリだと言われるので、この機会に反論してみただけです(笑)。そこんとこよろしくお願いいたします。


 

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