ライター宮崎智之「随筆というジャンルを復興したい」 最新作『モヤモヤの日々』を語る

「モヤモヤの日々」宮崎智之インタビュー

 
 日常のモヤモヤする感覚を『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』 (幻冬舎文庫)、『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を通して伝えてきたフリーライター・宮崎智之氏が、新著『モヤモヤの日々』(晶文社)を上梓した。2020年12月22日から2021年12月30日までのコロナとともにあった約1年間の日々を、豊かな感性で綴っている。「モヤモヤ」しながら生きるとは? 世界を"あながち悪いものじゃない”と捉えて生きるためのヒントと、文学としての随筆のこれからについて聞いた。(中野亜沙子)

「モヤモヤ」にこだわる理由

ーー本書はWebの「晶文社スクラップブック」で連載されていたんですよね。担当編集者は文筆家でもある吉川浩満さんですが、どのように話が進んだのですか?

宮崎:前著『平熱のままの世界が熱狂したい』を出したばかりで、次はどうしようかなと思っていた時期に、吉川さんから晶文社にジョインするというご挨拶のメールをいただいたんですよ。「じゃあ次の企画を出そう」と思って。

 ずっとイメージにあったのが、新聞コラム。具体的に言うと、大正時代~昭和初期に薄田泣菫(すすきだきゅうきん)が書いた『茶話』とか、吉田健一が西日本新聞に連載していた新聞短文連載『乞食王子』でした。僕は本で読んだんですけど、そういった新聞コラムが大好きで、同じようなことができたらと思ったんです。それで吉川さんに相談してみたのが始まりです。

ーー「モヤモヤ」というテーマにしたのはなぜですか?

宮崎:何かを「わかる」とか「理解している」ということは、ある種の断絶を含むじゃないですか。あなたのことを「わかった」と言ったら、膨大な「わからないもの」を無視して、ある一点だけでわかったことになってしまいますよね。「わかる」とは「断絶する」ということなんです。

 僕みたいなよく過ちを犯すやつが、わかった気になってしまうのは本当に危ないことだと思っていて。それで「モヤモヤ」というテーマが立ち上がってきました。わからないこと・モヤモヤしつづけることで、繋がり合う。そのほうが「わかった」と言うよりも安全だし、健全なんじゃないかと思ったんです。

 考えてみれば、僕だって母や亡くなった父のこと、ましてや飼っている犬のことなんて全くわからないんですよ。自分が人間の視点で幸せだと思っても、犬にとっては違うかもしれない。でもわからない、全部わからないから想像するという「モヤモヤ」のところで繋がっていれば、大変なことにはならない。

 例えば、パートナーを見つけるときに価値観が合う人がいいとよく言うじゃないですか。でも価値観が合っても、人は変わるんです。僕だって相当変わりました。だからそういう意味では、価値感が合うことよりも、コミュニケーションしつづけられる関係の方が重要なんじゃないか。価値と判断をちゅうぶらりんにして、それでも繋がっているという態度が必要じゃないかと思って。それから「モヤモヤ」と言いだしたんです。

世界を見るまえに、身近な人を見る

ーーモヤモヤはネガティブな意味じゃなかったんですね。コミュニケーションのきっかけということでしょうか?

宮崎:そうですね。コミュニケーションもそうだし、社会に対してもそうだと思います。例えば僕は若い頃、政治や社会を論じる仕事もたくさんしていました。

 もちろんその時はベストを尽くしたんですけど、今思うとちょっと言葉が空転していたというか。というのも、身の回りのことに親しみを持てないのに、社会や世界に対して親しみを持てるわけがないことに気づいてなかった。

 実家の母親にろくに連絡もしないような人間が、遠い国の戦争を憂いても実感ある言葉が出てくるはずないじゃないですか。そういう当たり前のことに気づいたとき、家族や友達、仕事でお世話になっている皆さん、そんな身近な人たちのことすら、ほとんど知らなかったなと思って。

 一足飛びに社会や世界を論じるとどうも白々しい言葉になっちゃうんですよね。お前そんなこと言って、身近な人を大切にしてるの?と。その先に社会や世界があるはずなのに、前段階でつまずいてしまっていた。ちょっと抽象的に言うと、ボタンのはじめを掛け違えたまま、ずっと進んでいたのかもしれません。今は1回ボタンを外して、初めから掛け直そうとしている途中です。最初の1個目のボタンが自分や身近な人々であり、『モヤモヤの日々』ではその姿勢をとことん実践しました。

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