『哲学の門前』著者・吉川浩満インタビュー:「素人」は哲学的な問題にどう向き合うのか?

吉川浩満インタビュー

 文筆家・編集者・YouTuberと、多分野での活躍を見せる吉川浩満氏。そんな彼のひとつの軸となっているのが哲学の存在だ。長年の相棒としてともに活動している文筆家・山本貴光氏と、YouTubeチャンネル「哲学の劇場」を主宰し、『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。――古代ローマの大賢人の教え』(山本氏との共著、筑摩書房)など、哲学に関連した著作も多い。 
 
 新著『哲学の門前』(紀伊國屋書店)もまた、そのような系譜に位置づけられる。ただ本書は哲学の入門書ではなく、吉川氏の自伝的エピソードと哲学的思想がまざりあった「門前書」のテイスト。日常で哲学的な問題に直面した時、どのように「素人」の自分は向き合うべきか――。いわば、生活と哲学がどのような結びつきを持つかに、吉川氏の関心はある。吉川氏にとって「哲学」とは何か、文章を書く上でのスタンス、また山本氏とのコンビネーションに関してなど、話をうかがった。(若林良) 
 

「哲学」とどのように対峙するか

――いきなり直球の質問となりますが、吉川さんにとって「哲学」とは何でしょう。 
 
吉川:うーん、どう言えばいいのかな……。日常生活において、なんだかわけがわからなくなり、心の整理がつかなくなる時がありますよね。商品の価格はどうやって決まるのかとか、DNAはどうやって複製されるのかといった、ある程度はっきりした問いであれば、経済学や生物学といった個別科学が答えてくれる。でも、日常の中には、自分がなんとなくもやもやしていることはわかるけど、それはなぜなのか、どのように形容したらいいのかがわからないものもけっこう多い。そういう時に、「どういうことなのだろう」と自分なりに考えてみることを、とりあえず「哲学」と呼んでいます。 
 
 逆に言えば、私は特定の哲学説――マルクス主義とか実存主義とか消去主義とか自然主義とか――を主張することには、あまり興味がないんです。本書では、哲学のほかにも社会学や政治学の知見を引用していますし、「哲学とはこういうものだ」とわかる入門書にすることは、もともと目指してはいませんでした。入門書ならぬ「門前書」として、思わぬ形で哲学的な問いに突き当たった人に、何かしらのヒントを与えられる本を目指したんです。 
 
――「門前」という言葉に絡め、吉川さんはカフカの短編小説「掟の門前」を引用し、〈門前の小僧〉〈掟の門前の男〉という形容をしています。このふたつの言葉について説明をしていただけますか。 
 
吉川:哲学は、自分の立ち位置を把握するのが難しい学問だと思います。物理学などでは、勉強を重ねれば「このレベルに達した」と言えるでしょう。しかし哲学の場合は、個々の学説や人物への理解度がどうというのは言えると思いますが、有力な学派同士が否定しあっているようなことも多く、高名な哲学者が「あいつは何もわかっていない」などと揶揄されることも珍しくありません。さらには、哲学の最終的な問いは「生きるとは何か」「人間とは何か」といった、ある種フワッとしたものですから、学説や歴史を知ったとしても、問いの核心に必ず迫れるというわけでもありません。 
 
 ですから、哲学に興味を持っていろいろと本を読んでみたのはいいけれど、ちゃんと理解できたかどうかわからないし、さらには自分がなにをしようとしているのかもわからなくなり、未消化な気持ちを抱えてしまうという読者も多いと思います。そのような状態にある人を〈掟の門前の男〉とまずは形容してみました。〈門前の小僧〉は逆に、哲学とはそもそもそんなものなのだから、もっと気楽に楽しもうよ、という態度を持つ人のことですね。私自身、両者のあいだをいつも揺れ動いています。 
 


――吉川さんのそうした哲学との付き合い方は、どのような形で育まれたのでしょうか。 
 
吉川:哲学の勉強はずっと続けていたのですが、歳を重ねる中で「自分は専門家にはなれないな」と思うようになったんです。一つのことを突き詰めるということが、私にはどうもできない。興味の対象も卓球、バイク、読書と移り変わりましたし、職場も転々としてきて、いまは文筆業、会社勤め(編集者)、大学非常勤講師、卓球コーチの4つの仕事を掛け持ちしています。それは明確な意思や必然性があってそうなったのではなく、行き当たりばったりでたどりついたものにすぎません。それゆえに、仕事にはそれなりにやりがいや充実感を覚えてはいるのですが、「自分はなぜこんなことをしているんだろう」という感覚が、どうにもぬぐえないんですね。そういう問いも哲学的と言えば哲学的ですし、だから日常と哲学を不可分に考える姿勢が、自然と身についてきたと言えるのかもしれません。 
 

人生で経験してきた哲学的問題

 ――個人的に面白かったのは、吉川さんの高校時代の同級生で卓球部のチームメイトだったMちゃんのエピソードです。船乗りになった彼に対して、初対面の女性が「(映画の)タイタニックを見ました」と話しかけたら、Mちゃんは「あんなところで死にたくない」と重い口調でつぶやき、そこで会話がフリーズしてしまったと。吉川さんは人工知能研究における「フレーム問題」を例に、そうしたコミュニケーションの問題について考察をされていますね。 
 
吉川:「フレーム問題」とは、現実に存在する無数の事柄から、今現在に必要な事柄を選び出すことが人工知能には難しいという問題です。しかし、この問題は人工知能に留まらず、人間にも当てはまるのではないか。Mちゃんのケースもそうですし、新入社員が上司に「自分で考えろ」と言われ、パニックに陥ってしまうような経験もそうだと思いました。 
 

――また、学生時代のアメリカでのエピソードも印象的です。黒人のタクシー運転手に“Call me Ishmael.”と言われ、この一文ではじまるメルヴィル『白鯨』の最初のパラグラフを吉川さんが脳内再生するところから、思わぬ方向に話が進んでいきます。 
 
吉川:私の唯一の「文芸もの」と言えるかもしれません。運転手のイシュメールは、黒人である自身の苦境について話したあと、日本人と比較してコリアンがいかに愚劣であるかを語る。私は彼に対して、実は自分は在日コリアン三世なのだと言い出すことができず、未消化な感触が残りました。

 いろんな要素が詰まっていますよね。社会学や経済学の観点からアメリカ社会における黒人の苦境について考えることもできるし、私が覚えたような葛藤を心理学の観点から考えることもできる。いろんな方向がありそうですが、どっちへ行けばよいかわからない。こういう場面に立ち会ったとき、人は哲学の門前に立っていると言えるのではないかと思ったんです。 
 

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