杉江松恋×川出正樹、2022年度 翻訳ミステリーベスト10選定会議 接戦を制した極上の翻訳ミステリーは?
ベスト4となった作品は?
杉江:残り4作ですが、短篇集が『彼女は水曜日に死んだ』1冊だけなんで、これをベスト3に残してもらえれば私はあまりわがままは言わないです(笑)。一つだけはっきりしていることは、川出さん一押しの『ガラスの顔』は4位にはできないですよね。
川出:4位ということはないでしょう。そうなると『名探偵と海の悪魔』かな。前作『イヴリン嬢は七回殺される』はタイムループというSF的設定を使った複雑な謎解き小説でしたが、これは海洋冒険小説の要素が強い作品です。今年はもう一作『シナモンとガンパウダー』という海洋冒険小説があったんですけど、両方とも三角和代さん訳だったのが個人的には興味深かったです。
杉江:もちろん抜群におもしろいんですが、ここは『名探偵と海の悪魔』に4位に甘んじていただきましょう。その代わり『彼女は水曜日に死んだ』が3位ということで我慢します。これはカリフォルニア州南部を舞台にした犯罪小説の短篇集で内容が多彩なんですよね。英国推理作家協会賞の短編部門に輝いた「聖書外典」を始め、ギャンブル依存症をコミカルに描いた「万馬券クラブ」、家族小説が突如として犯罪小説に化ける「悪いときばかりじゃない」など、どの作品を読んでもおもしろい。2022年の収穫だと思います。となると残りは2作、『1794』・『1795』はニクラス・ナット・オ・ダーグが18世紀末のストックホルムを舞台として書いた三部作の2作です。前後編のような構成なんで、1冊だけを取り上げることができないんですね。
川出:『1794』は視点人物が辛いことに遭う展開が続くので、読者もかなり心構えをして読む必要がありますね。それもあって後編にあたる『1795』を一緒に読んでもらいたい。
杉江:そうなんですよね。たしかに辛いんですけど、意味のない辛さ、単なる残酷趣味じゃないですから、その点は声を大にして言っておきたい。小説として必然性のある展開なんです。18世紀という歴史的過去が舞台に選ばれているのも、きちんと意味があります。
川出:対する『ガラスの顔』は『嘘の木』で邦訳が開始されたフランシス・ハーディングの、ミステリーとしてはこれまでの最高傑作でしょう。今回初めて完全なファンタジーで、地下世界が舞台になります。奇妙な事実が次々に紹介されるので、まず物語に引き込まれる。たとえばこの世界では住人が生まれつき表情を持っていなくて、面と呼ばれる技術を有償で手に入れる。だから貧乏人は表情の変化が乏しいんですね。主人公の少女には特異な能力が備わっているんですが、それはなぜなのか、といった設定の意味が終盤になって判明する。そこまで散りばめられてきた伏線が結びついてすべての謎が解かれる展開は、極上のミステリーのものですよ。
杉江:そうですね。『1794』・『1795』と『ガラスの顔』はどちらも小説として抜群におもしろい。両方とも辛い運命に立ち向かっていく個人の物語ですよね。そして、ただ辛い目に遭わせているだけではなくて小説としての意味がある、という点も共通しています。特に『ガラスの顔』は世界の意味がわかったときのカタルシスが半端ではないですね。ミステリーのランキングとしては、そうした謎解きの要素が強いものを優先すべきだという気もします。
川出:そうですね。『ガラスの顔』には世界を支配している一族がいるんですが、彼らがどういう存在なのか、というのが最大の謎だと思います。それがわかったときの驚きたるや。
杉江:前半だけでもじゅうぶんおもしろい異世界ファンタジーですけど、やはり後半の謎解きあってこそですね。うん、これは一位でしょうがないでしょう。
川出:ですね。『1794』・『1795』の健闘を称えつつ、ということで。
杉江:はい。これですべての順位が決定しました。最後に一言、全体を見ての総括をお願いします。
川出:たびたび言及していたように、今回はあらすじの紹介がそもそもしにくい作品が多かったと思います。20冊の候補作のうちでも半分くらいはそうでした。そういう構成の妙で読ませる作品が多くなっているんだと思います。ひと昔前のようにトリックならトリックだけにこだわるのではなくて、語り方に意を配る。どういう切り口で謎めいた状況をじっくりと見せてくれるか。そうした作品が多いという傾向は嬉しいですね。歴史的舞台を用いた作品が多くなったのも、それとは無縁ではないと思います。
杉江:このランキングについて言うと、いろいろなジャンルのものを取り上げる際、その中で犯人当てはどうやって行われるか、といった論理性を重視する傾向があると思いました。真相解明がロジカルに行わる作品が多いということですよね。しっかりとした謎解きを含む作品をこれからも多く紹介していきたいと思います。
【選考結果】
1位:『ガラスの顔』フランシス・ハーディング/児玉数子訳(東京創元社)
2位:『1794/1795』ニクラス・ナット・オ・ダーグ/ヘレンハルメ美穂訳(小学館文庫)
3位:『彼女は水曜日に死んだ』リチャード・ラング/吉野弘人訳(東京創元社)
4位:『名探偵と海の悪魔』スチュアート・タートン/三角和代訳(文藝春秋)
5位:『我ら闇より天を見る』クリス・ウィタカー/鈴木恵訳(早川書房)
6位:『キュレーターの殺人』M・W・クレイヴン/東野さやか訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)
7位:『光を灯す男たち』エマ・ストークネス/小川高義訳(新潮クレストブックス)
8位:『魔王の島』ジェローム・ルブリ/坂田雪子監訳・青木智美訳(文春文庫)
9位:『ポピーのためにできること』ジャニス・ハレット/山田蘭訳(集英社文庫)
10位:『彼は彼女の顔が見えない』アリス・フィーニー/越智睦訳(創元推理文庫)
次点:『ロンドン・アイの謎』シヴォーン・ダウド/越前敏弥訳(東京創元社)