穂村弘が語る、短歌を“読む”醍醐味とは「詠んだ人の視点と自分の感覚を織り交ぜて追体験できるのが魅力」

穂村弘インタビュー

 歌人・穂村弘が厳選した100首の短歌が収録されている新刊『短歌のガチャポン』(小学館)が、昨年12月に刊行された。笑えたり、悲しかったり、美しかったり、情緒的だったり……明治時代から現代にかけて、あらゆる歌人が生み出した短歌がバラエティ豊かに並び、穂村による鑑賞文が併載されている本作。巻頭のメリンダ・パイノによる愛らしいイラストは「ガチャポン」のワクワク感も想起させ、短歌に触れたことのない読者にもおすすめしたい入門書のような一冊となっている。

 90年代、親しみやすい口語体で詠まれた「ニューウェーブ短歌」を推進したことで知られる穂村は、間違いなく、現代短歌を語るうえで欠かせない存在だ。本作を上梓したばかりの今、SNSなどで若者を中心に起こっている「短歌ブーム」をどう捉えているのだろうか。また、短歌に夢中になる人が増えている理由や、改めて短歌の面白さはどこにあるのか。短歌界を牽引する穂村に話を聞いた。(とり)

短歌を通して世界を追体験できる

――新刊『短歌のガチャポン』には、与謝野晶子や若山牧水など明治期の作品から現代に生まれた作品まで、全部で100首が収録されています。これらの選定に基準はあるんでしょうか?

穂村:基準は、僕が好きな歌であることですね。大好きなコレクションを見て欲しいなと。時代がバラバラなのは、それだけ短歌の歴史が長いからですね。

 本作を通して感じてもらいたいのは、「短歌って、こんなにもいろんな表現があるの?」といった衝撃です。実際、7歳の女の子による歌があれば、前科8犯の人の歌もあるし、数式だけで表現された歌も収録されていますが、それらはすべて短歌なんですよね。

7歳の女の子による歌「おふとんでママとしていたしりとりに夜が入ってきてねむくなる」(松田わこ)、数式だけで表現された歌「(7×7+4÷2)÷3=17」(かっこなな/かけるななたす/よんわるに/かっことじわる/さんはじゅうなな)(杉田抱僕)など多様な短歌を掲載

――タイトルに「ガチャポン」とある通り、ページをめくる度にどんな短歌が出てくるか分からないワクワク感がありました。

穂村:僕自身、興味のあるカテゴリの中でのバラバラ感を楽しむのが好きなんですよ。例えば、高級なチョコレートだって、それだけを食べ続けていたら、高級ならではの味わいも価値も分からなくなるでしょう? 激安ピーナツ準チョコレートがあっての高級チョコレートですし、逆に激安ピーナツ準チョコレートでも、シチュエーションによっては高級チョコレート以上の価値が生まれることもある。

 本作にしても、名作選じゃないからこそ感じてもらえる短歌の面白さがあると思っています。短歌を読み慣れていない方にも、たくさん名歌を読まれてきた方にも、新鮮な気持ちで楽しんでもらえる内容になっているんじゃないかな。

――それぞれの短歌に対して、穂村さん視点の鑑賞文が書かれてあるところも本作の見どころです。普段は短歌を“詠む”側の穂村さんが思う、短歌を“読む”面白さとは、具体的に何なんでしょう?

穂村:短歌が持っている特性として、その人という着ぐるみに入って世界が見られる面白さがあると感じています。例えば、先ほども例に出した前科8犯の人の気持ちなんて普通だったら分からないし、考えることもないじゃないですか。でも、本作で紹介している「前科八犯この赤い血が人助けするのだらうか輸血針刺す」(金子大二郎)という歌を読むと、何となくわかる気がするというか。前科8犯ともなれば、輸血の際に「俺の血でいいのかな」と戸惑いが生じるものなんだと思うと、なるほどなあと共感してしまいますよね(笑)。

巻頭は、短歌とその歌からイメージされたメリンダ・パイノによるカラーイラストが続く。右ページが上記の金子大二郎の歌とイラスト

 それから「くちづけをしてくるる者あらば待つ二宮冬鳥七十七歳」(二宮冬鳥)という歌からは、「77歳のおじいさんもキスがしたいんだ」と、考えたこともなかった感覚にハッとさせられる感じがあります。まぁ、「口づけ」がしたいおじいさんは他にもいるかもしれませんが、「くちづけをしてくるる者あらば待つ」というサムライのような言い回しで思いを語った後に、「二宮冬鳥七十七歳」なんて堂々と自己紹介をされると、死ぬまで正座して待っていそうな絵が浮かんできますし、不思議と愛おしさが芽生えてきますよね。「“くちづけをしてくるる者”よ、早く現れてくれ!」と、応援したくなります(笑)。

――あはは。たしかに、普通に話を聞くだけでは共感しかねそうなところ、五・七・五・七・七の軽快なリズムに乗せられているからか、どちらの歌もチャーミングな印象を受けますね。

穂村:もうひとつ、本作には「ゆるキャラのコバトンくんに戦(おのの)ける父よ 叩くな 中は人だぞ」(藤島秀憲)という歌もあって。「ゆるキャラのコバトンくん」とは恐らく街中にいた着ぐるみなんでしょうけど、高齢の父には怪物に見えたのか、それを攻撃しようとしているところを、息子である自分が必死に止めようとしている状況が描かれているんですよね。

 この歌の魅力は、「着ぐるみの“中は人だぞ”」と父に語りかけているようで、高齢になり人が変わってしまった目の前の父に対して「“中は人(昔の父もいるん)だぞ”」と自分に言い聞かせているようにも読み取れるところ。切なさと、優しさと、笑える感じが同時発生しているのが新鮮です。実際、自分の親がゆるキャラの着ぐるみに攻撃している姿を想像すると複雑ですもんね。

――率先して想像したい状況ではないですね……(笑)。

穂村:それから「本当はメロンが何かわからないけどパンなりにやったんだよね」(砂崎柊)も素敵です。これは恐らく、メロンパンの短歌ですよね。メロンとメロンパン……、たしかに似ていないけど、それについて深く考えたことなんてなかった。でも、この砂崎さんは「パンなりに、どんなのか分からないメロンに近づこうと頑張ったんだよね」と、すごく優しい寄り添い方をしているんです。そっか、そういう捉え方ができるのか、と。他にはどんな短歌を詠んでいるのかな? と、今度はその人自身が気になってきますよね。

 といった具合に、自分だけでは体験しきれない出来事を、その人の視点と自分の感覚とを織り交ぜて追体験できるところが、短歌を“読む”醍醐味のひとつだと思います。今すぐには理解できなくても、何年後かに読み返したらフッと面白く感じられる歌も多々あるはずなので、気軽に“ガチャポン”を回す感覚で読んでもらえると嬉しいですね。

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