「マンガとゴシック」第9回:楠本まき『KISSxxxx』論 前篇——キュアーで踊る、ハッピーゴスの誕生

「マンガとゴシック」第9回:楠本まき『KISSxxxx』論

 『KISSxxxx』はDIE KÜSSEのバンド活動が右肩上がりになっていくサクセスストーリーでもなければ解散に向う悲劇でもなく、バンドを取り巻く愉快で個性的な仲間たちとのほのぼのとした日常を描く(カノンとかめのというカップルの、ハッピーなデートの様子が描かれるのが大半である)。直線的かつ構成的に進む物語ではなく、脱線的で即興的なエピソードの断片群から成り立っている。いわば「日常系ゴス」というありそうでなかった領野を開拓したとも言える。

 キャスリン・スプーナーの『ポストミレニアル・ゴシック』という本が、『KISSxxxx』のハッピーな雰囲気というかモードを説明する糸口になってくれそうだ。スプーナーによると、21世紀に入ってキュートでフェミニンな、ハッピーエンドで終わるようなハロウィン風のゴスが続出し始めたという。これがどうも1999年のコロンバイン高校銃乱射事件に端を発するようで、犯人2人がゴス(正確にはインダストリアル・ゴス)だったことから、アンダーグラウンドであったゴスシーンは一挙メインストリームなメディアでの対応を求められ、その反動からハッピーゴスが台頭したのではないかという。

Catharine Spooner, Post-Millennial Gothic: Comedy, Romance and the Rise of Happy Gothic (Bloomsbury USA Academic, 2017).

 とはいえ、ハッピーゴスには前史がある。その代表格として、ティム・バートンの一連の映画が挙げられる。そしてバートンが映画音楽を依頼するほどにほれ込んだバンドこそが、『KISSxxxx』で言及されるキュアーであり、スプーナーはハッピーゴスを80年代半ばにして発明した先駆的バンドと位置付けている。そもそもマンガのタイトルが『キス・ミー、キス・ミー、キス・ミー』というキュアーのアルバムから取られている可能性が高い(というのも楠本の第二単行本『HOT HOT HOT』もキュアーの楽曲タイトルであるからだ)。

 もともとキュアーは『セブンティーン・セコンズ』、『フェイス(信仰)』、『ポルノグラフィー』のいわゆる「暗黒三部作」をもってゴスと認定された(『ポルノグラフィー』は「俺達みんな死んだってかまわない」と言って始まる!)。その反動というか、ゴスのレッテルに嫌気がさしたロバート・スミスは80年代中期から「レッツ・ゴー・トゥー・ベッド」のような曲でポップ化し、ゴス・トライブからは「セルアウト・ゴス」などと揶揄される。

 そのポップカメレオンと化したキュアーの代表的な楽曲こそが、『KISSxxxx』のハロウィン・ダンスシーンで流れる「ラブキャッツ」である。軽快なコントラバスに導かれる心地よいダンサブルな一曲で、カノンとかめのも楽しげに踊る。私はここにハッピーゴスの極致を見る。キュアーによってゴスシーンにもたらされた「かわいい」の要素を楠本はいち早くキャッチし、マンガに取り込んでゴスロリ文化の土壌をつくった。その意味で、文化史的にみても非常に重要なシーンだと思う。

 サイモン・レイノルズは名著『ポストパンク・ジェネレーション』で、キュアーに対して非常に冷たい。ゴスの四大バンドに入れていないほか、「ゴス・ライト」とか「ジョイ・ディヴィジョンのソフトコア版」などと軽んじ、記述は全部合わせても一ページにさえ満たない。この理由はほぼ明らかで、ジョイ・ディヴィジョンにかなりの紙幅を割くレイノルズが「深層」の側にゴスを見ており、大衆受けするポップスを作って化粧するのに忙しいキュアーを取るに足らない「表層」と見なしたからだろう。これは秘匿されたマチズモに感じられる。

 しかし、キュートでロリータ、かつダークでシニカルなハッピーゴスこそが現代的なのではないか。のちに嶽本野ばらが「ゴシック&ロリータ」という言い方で宣言することになる、80年代差異化競争の産物ともいえる自意識の過剰な尖り方はゴスロリの始祖かめのには見られない。もっとハッピー、天真爛漫で、うじうじとアイデンティティ・クライシスに陥らないのである。加速主義のニヒリズムが大流行してしまうような死の雰囲気が常態化した2020年代において、キュアーや『KISSxxxx』のハッピーゴス的モードは、反骨的な「生の哲学」にさえ感じられる。

 以上が前篇。後篇では、『KISSxxxx』がダグラス・ホフスタッターの難解極まる書物『ゲーデル、エッシャー、バッハ』にインスパイアされたという衝撃の事実について考えてみたい。

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