『さよならを教えて』を生んだ鬼才・長岡建蔵が語る、 人気クリエイターに美少女ゲーム出身者が多い理由

 美少女ゲームから出版業界を担う才能が集った理由

『さよ教』はまったく売れなかった

――美少女ゲームを1本作るのに、どれくらいお金がかかるんですか。

長岡:当時は規模にもよりますが、2,000万円~3,000万円で1本製作できると言われていました。でも、声優さんに出演料を払い、音楽、脚本まで外注していたら、お金なんてなくなるんです。僕は絵を描きながらシナリオもやっていたので、「長岡建蔵はなんでも自分でやる人」と言われていたけれど、人に頼むお金がないだけで(笑)。経費を浮かすために、原画を描いて、影指定をして、グラフィックは外注さんに塗ってもらって、仕上げは自分でやっていました。

――そしてできたのが、伝説的な美少女ゲームの『さよ教』なわけですが、当時から話題になったのでしょうか。

長岡:いえ、当時はほとんど話題になりませんでしたね。3,000本くらい出荷されて、実売で1,000本いってないんじゃないかな……とにかく売れなくて、借金を抱えてしまいました。面白いと言ってくれた人はいたけれど、大半の人は「意味がわからない」という感想だった気がしますね。僕は、面白いものができたから絶対に売れると自信満々でしたが、売れなかった。当時のトレンドが読めてなかった。割とすぐワゴンで投げ売りされていたようですし。

――冷静に見て、なぜ売れなかったと思いますか?

長岡:当時の売れ筋のゲームと、あまりに内容が違っているからですかね。売れていたのはある程度のゲーム性を維持した上での、泣きゲー、学園もの、そして成人向けの内容に全振りしたものでしたからね。求められていたものとかけ離れて過ぎていたということでしょうか。

――つまり、異端であったと。

長岡:でも、僕は決してそうは思ってなかったんです。というのも、1990年代には『痕』『雫』のような、そっち系の美少女ゲームはありました。僕はいつの世もエロ・グロ・ナンセンスは渾然一体なものだと思ってましたから。でもあの当時は、メディアミックス的な展開も見据えて、成人向けの要素を切り離せる作りにした上で、お客さんが見たいものを突き詰めた……みたいな作品が強かったのです。

今では動画配信サイトでも人気を集める『さよならを教えて ~comment te dire adieu~』だが、長岡建蔵渾身の力作であったにもかかわらず、発売当時は売れ行きが芳しくなかった。そのため現存数が極めて少なく、美少女ゲームのソフトとしては異例のプレミアがついている。長岡が手掛けた美しいグラフィックも評価が高い。画像提供=CRAFTWORK


――成人向けを謳っているのに、全年齢対象でも問題ない内容のゲームが増えたのは、そのためなんですね。

長岡:そういうことだと思います。大雑把に言うと二極分化していくのですが、一面では成人向けの内容がそれほど重要ではなく、クオリティの高い脚本・画像・音楽を揃えた上で、プレイすることによって自分の体験としての達成感だったり、幸福感だったり、感動だったりと、そういうものを提供するっていうのが定番になったし、求められていたんじゃないかな。

ビジュアルアーツから発売された『CLANNAD』は、ゲームの人気も極めて高かったが、京都アニメーションのアニメが多くの感動を呼び、今なおTwitterでトレンド入りする作品になっている。ロンドンブーツ1号2号の田村淳など、芸能人のファンも多い。

美少女ゲーム雑誌の原稿料はタダ!?

――今年は『電撃G's magazine』がひっそりと休刊になりました。美少女ゲームを扱う雑誌はほとんどなくなりましたが、1990~2000年代はたくさん出ていましたよね。大手のKKベストセラーズが、美少女ゲームのムック本を出しているのには驚きました。

長岡:KKベストセラーズさんには僕も本も出していただきました。あれは当時、美少女ゲーム好きな編集者がいたのでムック本が出ていたんじゃないですかね。ネット黎明期でまだまだ本の力が強かったですし、売れていたので編集者の自由度も高かったんじゃないかと。1990年ごろはまだ美少女ゲームを専門に扱った雑誌はありませんでしたが、『コンプティーク』に袋とじで紹介されていたり、『ログイン』などのパソコン雑誌にも情報が載っていましたね。

『電撃G's magazine』は美少女ゲームの歴史を語るうえで欠かせない雑誌。『ラブライブ!』シリーズなど数々のヒット作を生み出したが、2022年12月号で惜しまれつつ休刊となった。


――のちに『パソコンパラダイス』など専門誌も出ましたし、ゲームの内容だけでなく、長岡先生のような原画家を紹介するムックも出ましたよね。

長岡:思えば、今では考えられないくらい豪華な作りの雑誌が多かったですね。『PUSH!!』とか『電撃PCエンジン』などの雑誌には描き下ろしのポスターが毎号のようについていました。僕も折り込みポスターの絵を一度だけ描かせていただきましたけれども、当時の美少女ゲーム雑誌は、イラストの原稿料は基本的にはタダだったんですよ。

――ええっ!? どういうことですか!?

長岡:宣伝広告扱いだったからですね。当時はメーカーが広告枠として、雑誌のページを買っていたのです。雑誌によっては、ポスター枠をとったからと言われて、10万円払ったりみたいな話も聞いたことがあります(笑)。4ページの記事を作るから、2ページの広告枠を買ってくれと頼まれたこともあるし。出版社から頼られて、ページが埋まらないときの駆け込み寺みたいなことをしていた時期もありました。

――タダでも仕事をしたのは、宣伝効果が高かったからですよね。

長岡:だって、当時のネット環境なんてパソコン通信くらいしかなかったでしょう。情報発信は本だけですし、コンビニにも置かれていましたから。売れるわけですし、そこに載れば宣伝になりますよ。

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