『鎌倉殿の13人』で注目、実朝とはどんな人物だったのか? 小説『言の葉は、残りて』が描く、若き将軍の横顔
20代になろうとも、「武家の棟梁」とは名ばかりで、次々と巻き起こる「悲劇」を、けっして止めることができない自らの無力さを痛感し、日々苦悩する若き将軍・実朝。しかし彼はやがて、ある「信念」を、その胸の内に持つようになるのだった。「言の葉」こそが、これからの世には必要なのではないか。血なまぐさい争いで決着をつけるのではなく、あらかじめ定められた「言の葉」で、ことごとく清冽な答えを出す――そんな世にしたいと願うようになるのだ。あるとき実朝は信子に言う。「私は、言の葉で世を治める将軍になりたい」「言の葉の力は、武の力より無限だ。言の葉があれば、何だってできる」と。しかし、自らの意思によって「政」を行おうとする、そんな実朝の存在を、疎ましく思う者たちがいる。それは、果たして誰なのか。
無論、その史実は動かせない。やがて、鎌倉最大とも言える「悲劇」が、実朝自身に訪れる。しかしながら、その「悲劇」が起こったあと、読む者の心に強く浮かび上がってくるのは、本作のタイトル――「言の葉は、残りて」という言葉なのだった。実朝の死後、京に戻り「西八条禅尼」として長い余生を過ごすことになる信子が手にすることになる実朝の歌集『金槐和歌集』、あるいは、主君・実朝と父・義時のあいだで煩悶する泰時が、のちに制定することになる、日本最初の武家法「御成敗式目」。それは、実朝という人物が、確かに存在したという「証」ではなかったのか。その「悲劇性」と「歌人」としての名ばかりが後世に伝えられている実朝の「生」を、これまであまり描かれることのなかった正室・西八条禅尼との「絆」を主軸に据え、小説という形でありありと描くことによって、そのイメージ自体を刷新してしまうほどの力をもっているようにも思える本作。誰も知らなかった実朝――作者自身が惹きつけられ、愛してやまないという人間・実朝の姿が、ここにある。