なぜユダヤ人は陰謀論と結びつけられるのか? 歴史学者・鶴見太郎に聞く、ユダヤ人の「通史」に目を向ける意義


ユダヤ教を信仰する民族・ユダヤ人。学問・芸術に長けた知力、富のネットワーク、ホロコーストに至る迫害、アラブ人への弾圧――。五大陸を流浪した集団は、なぜ世界に影響を与え続けているのか?
古代王国建設から民族離散、ペルシア・ローマ・スペイン・オスマン帝国下の繁栄、東欧での迫害、ナチによる絶滅計画、ソ連・アメリカへの適応、イスラエル建国、中東戦争まで。3000年のユダヤ史を雄大なスケールで描いた新書『ユダヤ人の歴史-古代の興亡から離散、ホロコースト、シオニズムまで』(中公新書)が、各所で話題を読んでいる。
近現代史を専門とする歴史学者・鶴見太郎氏が、ユダヤ人の通史を改めて新書という形で著した理由とその意義について、話を聞いた。(編集部)
7世紀から13世紀まで、ユダヤ人の9割はイスラーム諸国に暮らしていた

鶴見太郎(以下、鶴見):直接のきっかけは編集者から依頼されたことです。通史を依頼されたのですが、私の専門の近現代史に絞るのでも認めていただけそうではあり、迷いました。それでもあえて古代からの通史を書こうと決めた理由としては……本屋などに行くと、ユダヤ人に関する多種多様な本が並んでいますよね?
――かなり眉唾と言いますか、陰謀論などに繋がるような怪しい本も結構出版されているように思います。
鶴見:まさにその通りです。そして、そのような状況になる要因の一つは、ユダヤ史のメインストリームをしっかりと提示した書籍がないからだと考えました。ユダヤ人に関する怪しげな議論というのは、メインストリームを押さえないまま、枝葉末節の部分だけを取り出して繋ぎ合わせながら、足りないところを想像で膨らませているようなパターンが多い。もちろん、分厚い概説書なり、ユダヤ史に関する各時代の専門書を読めば、そのあたりのことはわかるのですが、一般の方々はそこまではできない。そこで、新書というサイズとボリュームで、古代から現在に至るまでのユダヤ史のメインストリームを「通史」として書くことに意義があると考えました。
また、歴史一般においてもユダヤ史は、古代についてはそれなりに知られているものの、その後は急に近現代に飛んでしまうという傾向があり、しかも西ヨーロッパに偏った歴史しかあまり知られていません。本書のオビに「学問・芸術に長けた知力、富のネットワーク、文化資本としての教育、迫害と加害の裏面史」とあるように、ユダヤ人は学問、芸術、あるいは財界において目立つ存在であり、必然的に西ヨーロッパを軸とした歴史軸で語られがちなんです。しかし、人口的な観点から見ると、西ヨーロッパは中世などにおいては、必ずしもユダヤ人のメインストリームではありませんでした。
――本書の中に「7世紀から13世紀まで、世界のユダヤ人の9割がイスラーム諸国に暮らすことになった」という記述があって、少し驚いてしまいました。
鶴見:にもかかわらず、イスラーム圏にいたユダヤ人に関してはほとんど注目されておらず、ヨーロッパに関しても、ユダヤ人のボリュームゾーンであるポーランドをはじめとする東欧・ロシアについては、ぽっかりと抜け落ちているようなところがある。しかしながら、仮に「イスラーム圏のユダヤ人の歴史」あるいは「東欧・ロシアのユダヤ人の歴史」のような新書を書いたとしても、多くの人にとってはマニアックな書籍に映るでしょう。だからこそ、イスラーム圏や東欧・ロシアのユダヤ人が、通史の中でどれだけ存在感があるのかを示すのが重要だと考えました。加えて、なぜ彼らがそれらの地域にいるのかーー彼らはほとんどの場合、強制的に移住させられたわけではなく、ある程度の主体性をもって移住しているーーという経緯も説明する必要があります。
――今の話とも関連するように思いますが、本書は「主体と構造」に着目しながら、ユダヤ人の通史を追ったものになっています。そこが、非常にユニークだと思いました。
鶴見:主体と構造の関係性に着目するのは、マイノリティの問題を考える上で欠かせない視点です。たとえば、差別について論じる、あるいは多様性に関することを論じる上で、主体と構造の兼ね合いは必ず踏まえなければいけません。そしてユダヤ人は、現代のイスラエル以外では常にその国のマイノリティでした。だからこそ、通史を描く上でも「主体と構造」という切り口が有用です。
また、先ほどユダヤ人に関する書籍にはトンデモ本が多いという話もしましたが、それらの本は大概、ユダヤ人にしか着目していない。ユダヤ人がそれぞれの国で自由勝手に色々なことをやっているかのように書かれていますが、実際はそれぞれの時代や場所で、いろいろな構造に規定されながらも、それをうまく梃子にすることによって主体性を獲得してきたところがあります。
――本書の「むすび」の一節にあるように「マイノリティとしてのユダヤ人は圧倒的な構造を前に黙ってそれに従うのではなく、構造を理解し、自らの特性が活かせる隙間にうまく入り込むという意味での主体性を発揮してきた」わけですね。
鶴見:そうです。全部が全部、構造によって縛られていて、ユダヤ人に何の主体性もなかったというわけではなく、その構造との格闘の結果、ユダヤ人の思い通りになった場合もあれば、かえって事態が悪化するような場合もあった。構造に対して、ユダヤ人の側からどのような働きかけがあったのかを示すことが、きちんとユダヤ史を記述することにつながると考えました。



















