『呪術廻戦』乙骨憂太の力は五条悟に匹敵する? 問われる「強者ゆえの傲慢さ」
何より乙骨の強さの秘密は、その動機にある。羂索の誘いに乗って受肉化し、二度目の人生を生き直すために戦っている烏鷺亨子に対して乙骨は「全く共感できない」と言い、「なんで 自分なんかの ために 必死になるん ですか?」と問いかける。避難民の心配をしながら五条たち仲間のために戦う乙骨には、個人としての意識が希薄で、石動との一騎打ちの際には「おそらく今後も 戦いそのものに 意味を 見出すことがない」とナレーションで語られた。時の権力に翻弄された末に無残に殺されたため、他者を蹂躙してでも第二の人生を生きようとする烏鷺や、戦いに全てを出し切ることに生きがいを見出す石動とは真逆の、利他的な考え方である。
「自分のためにだけに 生きるのは」「きっといつか 限界がくる」と言う乙骨に対し「だれかのために生きろ」「何者にも成る必要なない」と嘯くのは「いつだって 何者かに 成った者だ!!」と烏鷺は憤り、乙骨の「強者ゆえの傲慢さ」に反発を示す。正しいのは乙骨だが、烏鷺の「弱者ゆえの憤り」にも共感してしまう。
乙骨、石流、烏鷺による三人同時の領域展開を筆頭に、派手な必殺技の応酬が印象に残る20巻だが、各キャラクターの人生観の衝突という心理レベルでの人間ドラマが、バトルの中に盛り込まれていることが、連載当初から一貫する『呪術廻戦』の魅力だろう。
いまだ先の見えない「死滅回游」編だが、ジャンプ漫画としてのエンタメ性とケレン味が洗練されてくと同時に、人間ドラマとしての魅力も毎話、深みを増している。