『ちゃお』で連載中 人気漫画家・あまねあいが「唐津」で漫画を描き続ける理由「地方の環境は創作の強みになる」
漫画家といえば、東京で仕事をするイメージが強い職業だ。ところが、最近は都心を離れ、地方で執筆を進める漫画家も増えている。先日、初めての単行本が発売されたばかりの漫画家・あまねあいは、佐賀県唐津市出身。少女漫画雑誌『ちゃお』でデビューし、子育てをしながら唐津で漫画を描き続けている。
唐津といえば玄界灘に面した雄大な自然や、豊臣秀吉が築いた名護屋城などの史跡、唐津焼などの陶芸といった優れた文化を擁する町だ。近年はアニメの聖地としても注目されている。
文化の薫り高い町ゆえ漫画との親和性も高いが、とはいえ、東京にある出版社との打ち合わせなどでは苦労も多いのではないだろうか。そんな疑問を抱いた筆者は、唐津を訪ね、あまねあいに取材。地方での創作活動にこだわる理由を聞いた。
唐津を拠点に漫画を描き続けて5年
――あまねあい先生は今年でデビュー5年目を迎えました。ひと昔前だと、漫画家はデビューが決まれば上京し、アパートを借りて仕事をするようなイメージでした。しかし、あまね先生はずっと唐津で漫画を描いていますよね。
あまねあい:デビューしてから1年ほどは、アナログで原稿を1人で描いていました。ところが、アナログだと原稿が編集部に届くまでに時間がかかって不便でしたし、交通費をかけて唐津までアシスタントに来てもらうのも難しかったです。そこで、2年目にデジタルに移行しました。それ以来、ネットを通じて様々なやり取りができるようになったので、特に不自由を感じたことはありません。
――デジタルとネットのおかげで、地方にいながら漫画を描くことができるわけですね。唐津という町の環境が、あまね先生にとってプラスに感じることはありますか。
あまねあい:生まれ育った町なので、平穏で静かに暮らす幸せを感じられることでしょうか。変わらない場所と人に囲まれている安心感があり、町にも大きな変化がないのが一番のメリットかもしれません(笑)。あと、唐津って大都会すぎず、ちょうどいい規模の町なので、落ち着いて漫画に打ち込める環境があるんですよね。
――漫画家といえば、アイディアを仕入れるためのインプットの作業が欠かせないと思います。普段はどのように行っていますか。
あまねあい:唐津は福岡に意外と近いので、チラッと出かけて人を観察したり、映画を見に行ってアイディアを練ることもあります。また、流行はネットを見たり、SNSで情報を仕入れることもあります。私はTiktokをよく見ますが、身内のノリでダンスしたりする人を見るのが好きなんです。「その関係だからこその取り繕わない姿」に惹かれますし、少女漫画らしい人物像は好きなのですが、完璧な人よりも、人間味がある人にときめきを感じるので。
――編集部との打ち合わせは、どのように進めているのでしょうか。小学館は東京の神保町にありますが、唐津では編集者と頻繁には会えないでしょうし、コミュニケーションをとるのも難しそうな気がしますが。
あまねあい:今の担当さんは私の作品が好きだと仰り担当になってくださったので、すごくありがたいですし、共感が多く、気持ちも通じ合えていると思います。打ち合わせは電話で行っていますが、いつも漫画の話から雑談まで長時間付き合ってくださるので、コミュニケーションもとれていると思います。
――原稿のチェックなどは、ネットを通じて行うのですか。
あまねあい:担当さんとデータを共有するアプリにネームを描くたびに入れて、見てもらっていますよ。イメージがまとまっていない殴り描きも共有して、アイディアを広げる助けをいただいています。
漫画を描けるのは家族の支えのおかげ
――あまねあい先生は18歳で結婚され、21歳で漫画家デビューしておられます。デビューまでの経緯を教えていただけますか。
あまねあい:高校卒業後に結婚し、育児をしながらパートで働いていました。でも私は漫画家になりたい思いを捨てきれず、今の機会を逃したらもう二度となれないと思っていました。そう思っていたとき、友人が新人賞に投稿すると言いだしたので、私も便乗して漫画を描き始めたのです。タイトルもギリギリまで練って、郵便局が閉まる2分前に飛び込んだのも思い出ですね。この初投稿作が第79回小学館新人コミック大賞の少女・女性部門で佳作をいただき、平成29年(2017)の『ちゃおデラックス』5月号でデビューが決まりました。
――初投稿でデビューってすごいですね! それまで漫画を描いた経験はあったのでしょうか。
あまねあい:いえ、それまではノートにしか描いたことがなくて(笑)。原稿用紙にペン入れをして、スクリーントーンを貼ったのも初投稿作が初めてでした。このころは子育てが忙しく、子どもを抱えたり、おんぶをしながら必死に描いていました。
――なんと、子育てをしながら描いたんですか。多忙な中、時間を作って漫画を描いたあまね先生に頭が下がります。漫画家は周囲の助けが大事だと聞きますが、あまね先生のご家族が創作をサポートしてくれることはあるのでしょうか。
あまねあい:夫の理解は大きいですね。デビューしてからは、漫画の方向性がわからずに迷走していましたし、読切のコンペにも落ち続けました。それでも机に向かう私が夫には理解できなかったようで、初めて本気のケンカもしましたが、連日話し合って、「漫画っていう面倒なものをあんたは好きになってしまったとやけん仕方ないね」と、受け入れてもらえて。自分という存在がわからないのに登場人物のことを理解できるわけがない…と悩んだときは、夫が「これだけ言い合っても漫画だけはやめんやん。あんたはそういう人間やろ」と言ってくれたおかげで、行動がその人のすべてなのね…と、人というものを少しだけ単純に考えるキッカケになったんです。
――素敵なエピソードですね。
あまねあい:そんな学びをもとにネームを出し続けていたらコンペにも通るようになって、昨年(令和3年(2021))には『ちゃおデラックス』で『だからあなたに恋をした』の連載も決まりました。今でも私が集中しているときは適度に距離を置いてくれたり、いざというときは本気で助けてくれる。分かり合えずとも受け入れてくれる夫にはすごく感謝しています。
――お子さんは、あまね先生が漫画を描く様子から何か感じ取ったりしていますか。
あまねあい:息子3人の子育てをしながら漫画を描いていますが、長男は私の気持ちがわかるらしく、ネームに悩んでいるときは、話しかけちゃダメだと感じ取ってくれているようです(笑)。仕事が終わったら、思いっきり絡んできますけれどね。実家の母も、原稿の期間には子守りや家事を引き受けてくれています。周囲のサポートのおかげで、仕事も育児も両立できていると思います。
佐賀と唐津の人たちのあたたかさが力
――そういえば、今年(令和4年(2022))5月にあまね先生の初めての単行本『だからあなたに恋をした』が刊行されたとき、佐賀県の山口祥義知事と面会していますよね。ひょっとして、あまね先生か編集部が山口知事に話を持ち込んだのでしょうか。
あまねあい:いえ、違うんですよ。祖母が波戸岬でサザエのつぼ焼きの屋台をやっているのですが、私の漫画の切り抜きを置いているんです。それを偶然、山口知事と秘書の方が目をとめてくださったことから話が進んで、単行本が発売されるタイミングでお会いするということになりました。
――なんと! 知事から直接、声がかかったんですか。山口知事、やりますね(笑)。
あまねあい:山口知事にサイン色紙をお渡ししたら、「知事になって一番うれしいかも!」と仰って、目じりを下げて喜んでくださったんです。周りにいた記者の方々も色紙を囲んで笑顔になってくれたのが嬉しかったですね。絵には人を繋ぐ力があると改めて感じ、幸せな気持ちになりました。
――唐津でも漫画やイラストの仕事をしたことはありますか。
あまねあい:今年、ボートレースからつのYouTubeチャンネルに使うイラストの依頼がありました。イラストを何点か提供し、クオカードにもなっています。唐津市役所に努める叔父から、「イラストを描く人を市内で探しているけど、どう?」と連絡があったのがきっかけでした。
――佐賀県や唐津市のみなさんが、あまね先生を応援してくれているのがわかります。
あまねあい:そうなんですよ。まわりの方々のあたたかさに支えられているので、本当にありがたいと思っています。
――最後に、あまね先生の今後の抱負をお聞かせください。
あまねあい:私は、漫画家になりたいというより、『ちゃお』の漫画家になりたいという思いが強かったんです。6歳の頃にやけどを負って、佐賀県医療センター好生館で治療を受けたのですが、このときに売店で親が買ってくれたのが『ちゃお』でした。このころからずっと『ちゃお』にときめきを感じるので、とにかくずっとこの雑誌で描いていけるように頑張りたいです。あとは、唐津を拠点に、いろいろな活動をしていけたらいいなと考えています。読者の皆様からも応援していただき、地元の方にもここまでしてもらっているので、本当にありがたいと思っています。期待に応えられるように頑張っていきたいです。
地方の環境は創作の強みになる
あまねあいに話を伺い、ネット環境が発達したことで、地方で創作を行うハンディキャップが一気に少なくなったと感じた。アニメーションのスタジオも地方に拠点を置く例が増え、働き方が変わりつつあるように思う。また、地方の環境も創作者においては大きな武器になっているように感じた。
さて、あまねが現在も連載を続ける『だからあなたに恋をした』は、令和5年(2023)の初春にも2巻が発売予定だ。今後が期待されるあまねの作品を、筆者も読者の一人として楽しみにしたいと思っている。