「薔薇はシュラバで生まれる」 笹生那実が見た70年代少女漫画の現場と恋愛事情

(左から)笹生那実『すこし昔の恋のお話』、『薔薇はシュラバで生まれる』(ともにイーストプレス刊)

 漫画家といえば、とにかく大変な仕事というイメージが定着している。〆切に追われて徹夜は当たり前で風呂にも入れない、編集者と議論を交わし、時には衝突しながら必死に原稿を完成させる―― そんな漫画制作の現場に欠かせない存在がアシスタントである。

 漫画を描く道具が、紙とペンから、iPadや液晶タブレットへと移り変わっても、その重要度は変わらない。特に、商業誌の週刊・月刊連載は“修羅場”の連続であり、ほぼアシスタントの助けなしでは原稿が仕上がらないと言っていいだろう。

 笹生那実の『薔薇はシュラバで生まれる』『すこし昔の恋のお話』は、1970~80年代、少女漫画の全盛期に地獄のような“修羅場”を経験した著者の実録エッセイ漫画である。笹生がアシスタントを務めた漫画家は、『ガラスの仮面』の美内すずえ、『日出処の天子』の山岸凉子など、錚々たる大御所ばかり。さらには、自作のアシスタントを『私が見た未来』のたつき諒に依頼したことがあるという、知られざるエピソードもある。

 原稿と格闘を続け、数々の修羅場を経験してきた笹生に、1970年代の少女漫画界の裏話を濃密に語っていただいた。

知られざる少女漫画制作の現場とは?

――先生は漫画家としてデビューされてから、様々な漫画家のアシスタントを経験されました。主にアシスタントの仕事は、どんなものがあるのでしょうか。

笹生:アシスタントはスクリーントーンを貼ったりベタを塗ったりするだけでなく、背景や小物を描く仕事もあります。現場では建物から花まで様々なものを描くように指示が飛びますが、私の場合、描けるものと描けないものの差が凄いんです。例えば西洋風の墓地を描けと言われた時は苦労せずに描けましたが(笑)、一方で、花のような美しくきれいなものは難しい。人により得手不得手があるので、それぞれの得意分野で仕事を分担します。

仕事場で漫画を描く笹生那実。商業誌に原稿を描く傍ら、70年代の初期コミックマーケットにも参加。その後長く離れていたが、20年ほど前からはほぼ毎回参加しているという


――墓地って、そんなに描く機会があるんですかね(笑)。当時の少女漫画家は、“薔薇を描く”スキルは必須だったのでしょうか。

笹生:薔薇……私は苦手でしたね(笑)。繊細で柔らかい描線が描けないんですよ。それでも無理やり描いたことはありますが、やはり上手な人はレベルが違いました。ちなみに、私の読み切りでは、友達のたつき諒さんに花を描いてもらったことがあります。たつきさんは筆が早いので、いろいろな人のアシスタントをしていました。(原稿を指さして)例えば、この花はたつきさんが描いたものです。

――これ、何の花ですかね。

笹生:…わかんない(笑)。たつきさんは上手いので、資料なしで描いていましたが、これは架空の花なんじゃないかな。ちなみに、1960年代の少女漫画はまだ花の描き方が大雑把なんですよ。ところが、70年代に入ると、おおやちき先生のように緻密な花を描く漫画家が現れてきたので、みんな写真を見たりして、花びらの構造まで理解して描くようになりました。

笹生の生原稿。背景の“謎の花”や点描を担当したのは、近年、東日本大震災を予言していたとして著名になった、たつき諒。点描を地道に描くのは少女漫画のアシスタントの必須業務。まさに職人技の世界である

アシスタントの仕事は職人技の世界

――笹生先生の原稿を見ると、スクリーントーンの模様のような服や背景の模様もぜんぶ手描きなんですね。これは、時間がかかっただろうなと思います。

笹生:今ではスクリーントーンがあるので、背景の点描や模様も描かなくていいですよね。当時はアシスタントが手描きしていました。私が苦労したのは“縄網”です。描き方を知らなかったので、見様見真似で必死に描いたんですよ。それが雑誌に載ったのを見たら、目が当てられないほど酷くて……反省しましたね。

――現場では、先輩のアシスタントが描き方を教えてくれなかったんですかね。

笹生:というより、教えている暇がないんですよ(笑)。猫の手も借りたいほどの修羅場で招集がかかりますから。専属のアシスタントは初歩から教わると思いますが、当時は漫画の専門学校もなかったので、描ける人と描けない人の差が激しいのです。アシスタント初心者だった頃の私は、本当に描けませんでした。背景の模様はどう描けばいいんだろうと、お手本の原稿を観察しながら学んでいきましたね。

左のコマの人物の周りに描かれているのが、縄網の一種である“オドロ線”。ちなみに薔薇の花はたつき諒が描いたもの

――目で見て、技術を盗むというのは、昔ながらの職人の世界ですね。失敗して叱られた経験はありますか。

笹生:実は、ほとんどありませんでした。初心者の頃は一度行ったら二度と呼ばれなかったりで……描き慣れてきてからも、とにかく原稿を仕上げることが第一で、先生も怒っている暇がなかったのだと思います。

――それは切実な事情ですね。

笹生:アシスタント初心者だった頃、ある先生のところでベタの指示を受けたんですが、どう見てもベタにしたらおかしい場面だったんです。ここを塗ったら変、でも必死で原稿を描いてる先生にそんなことは言えない。悩みながら、結局塗ってしまったんです。そしたら先生が「あなた、なぜそこを塗ってるの!?」と言うのです。そして、ご自分が指示を間違えたと気づいて、とても嘆いて……。私が、先生に確認すべきでしたね。

――今は背景を集めた資料集が本屋に売っていますし、デジタルデータでビルや学校などのフリー素材が販売されています。笹生先生がアシスタントをしていた時代は、資料はどうやって収集していたのでしょうか。町並みを描くときには、撮影に出かけることもありそうですよね。

笹生:一部の先生は舞台になる町をカメラマンに撮影してもらったり、大事な場面は写真を参考にすることもありましたが、大半は想像で描いていましたね。結構、昔の漫画の背景っていい加減なところがあるんですよ。アシスタントはパースの取り方なんて習っていないし、漫画の技法を説明する本もありませんから。パースが変だと背景と人物がチグハグになって、人物が巨人に見えてしまう場合もあります。

 なので、「パースなんて考えずに描いたほうがマシ」と言う先生もいました。中途半端な技術で描くと、かえってパースが狂い、余計に変になってしまうからです。

――慣れないことを修羅場で試すとますます悲劇を生んでしまう、という教訓ですね。

笹生:酒井美羽さんは、パースの取り方をデザイン学校のアニメーションコースで学んだそうですが、あくまでもレアケースです。まだ、漫画の専門学校は存在しませんでしたから。当時は、上手い漫画家さんの絵を参考にすることも珍しくありませんでした。「誰それ先生の『○○』という作品を参考に描いて」と、指示を出されることもありました。

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