水野英子、庄司陽子、木原敏江……少女漫画家にとっての「家」とは? 創作現場に見る、日本の少女漫画史

『少女漫画家 「家」の履歴書』を読む

 『少女漫画家 「家」の履歴書』(文春新書)は、少女漫画の黄金期と呼ばれる1970年代までにデビューした12人の漫画家が、これまで暮らしてきた家の思い出を軸に半生を振り返る内容になっている。

 「漫画」と「家」というふたつのワードを見て思い出したのは、3年ほど前、週刊誌の企画で松本零士さんに取材をさせていただいたときのことだった。場所は大泉学園駅から、タクシーで10分ほどのところにある「零時社」。松本さん、および妻の牧美也子さんの自宅であり、かつ漫画制作スタジオとして地元でも知られている。チャイムを鳴らすと、アシスタントの方に1階の居間に通された。気品を感じさせる室内では、星野鉄郎やメーテルをはじめとした松本作品のフィギュア、古代生物の化石、広大な宇宙の写真集などの興味深いアイテムがそれぞれ存在感を放っており、入ったときには思わず「おお……」と声が出た。松本さんが中座された際には、思わず周囲をきょろきょろと見回し、願わくば、取材とは別にこの世界にもう少し触れたいという思いもむくむくとふくらんできた。こうした環境が松本ワールドの源泉になっている、と断定するのはやや早計だろうが、少なくとも私自身は、さすがは想像力を軸とする漫画家の職場だな……と感じたものだった。

 コロナ禍でリモートワークが推奨されているいまでは、家をより仕事向きの環境に整備する動きは多くの業界で活性化しているだろうが、漫画家とは、まさに仕事場と家が一体化した職業といえるはずだ。

 それは単に、家で仕事をするということではない。今でこそデジタル作画によるリモート環境は整ったものの、漫画家は十数年前まで自宅にアシスタントを招き、一緒に作業をする必要があった。もちろん、自宅とは別にマンションなどの仕事場を設けるケースも多いものの、多くの漫画家の「家」はいろいろな人にとって仕事がしやすいように、かつ日常においても落ち着けるように、といった思いでさまざまなかたちでカスタマイズをされ、それ自体が大きな魅力をともなうものとなっていった。たとえば、本書で登場する四畳半の茶室を擁した庄司陽子さんの「『生徒諸君!』御殿」や、まわりに吾亦紅(われもこう)や松虫草が咲くお花畑があり、狸やリス、雉もひょっこりと姿を見せる木原敏江さんの「縞りんご山荘」などは、ファンでなくても一度は訪れてみたい気分にさせられるだろう。

 もちろん、漫画家が住むのはそんな「豪邸」とは限らない。質素な暮らしを好む人もいるし、また若い頃には、狭い空間で共同生活に近い暮らしを営む人もいた。

 とはいえ、それは決して苦しさ一辺倒のものではなかったことも、本書から読み取れる。たとえば、『白いトロイカ』で知られる水野英子さんが、トキワ荘で紅一点の住人として過ごした7か月の経験が好例だ。赤塚不二夫さんの細やかさや石森(石ノ森)章太郎さんの博識ぶり、また仲間が部屋を真っ暗にして何かを見ているところに入ろうとしたら、それがブルーフィルムだったため「女はダメ!」と止められたエピソードを語り、「そんな生活が楽しすぎて」、家への連絡も忘れるほどだったという。また、『ガラスの仮面』の美内すずえさんは20代後半まで、おもに神保町のカンヅメ旅館「錦友館」にほぼ入りっぱなしで仕事をしていた。12畳ほどの和室で、アシスタントたちと雑魚寝をしながら原稿に没頭したことは劇団体験のようで、その合宿ノリがとても楽しかったことを口にする。

 また、彼女たちの作品の背景を知る意味でも、「家」のエピソードは興味深い。たとえば、魔夜峰央さんは(念のため、男性である)1979年に新潟県から埼玉県の所沢市に上京し、所沢駅から15分の平屋を自宅兼仕事場とした(結果的に、1年ほどで仕事場は別に借りることとなる)が、『翔んで埼玉』は、その上京なしに生まれることはなかった。というのは、埼玉県は現在と比べ、世間的には「田舎」のような位置づけであったことが大きかった。駅前でたむろする人や食堂にいる人の会話、もしくは彼らが醸し出す雰囲気に、埼玉県民が持つ劣等感を感じた魔夜さんは、それを「日本の秘境サイタマの民が迫害の中から立ち上がる」という筋書きの、シニカルなフィクションへと昇華させたのだ。また、陽の光を好まなかった魔夜さんは、当時は雨戸を閉め切ったままで執筆を行ったことを語ってもいる。こうした不健康な生活が、作品のマゾなテイストにつながったのかもしれない……などと想像はふくらんでいく。

 同時に、漫画家たちの家をめぐる軌跡は、女性漫画家たちが自身の地位を確立させていった軌跡ともどこかでつながる。本書でも説明されるように、1950年代半ばまでは、少女漫画の多くはほとんどが男性漫画家によって手がけられており、女性の活躍できる幅は極めて限られていた。転機となったのは1960年代。新しい雑誌が増えたことで少女漫画の需要が高まり、また求められる内容の変化もあって、少女の心を繊細にとらえることができる女性の書き手たちが活躍できる土壌が整ってきた。実際に本書で掲載された漫画家の多くは60年代にデビューし、彼女たちの活躍によって、新しい少女漫画の文化は芽吹いた。

 そして、土から顔を出した芽が大輪の花を咲かせるに至ったのは、「少女漫画バブル」として知られる、1977年からの10年間になるかもしれない。「極端な話、連載を持った人はみんな、コミックスの印税で家が建てられました」と本書で庄司さんが語るように、女性漫画家たちは漫画で生計をたてるのみではなく、漫画から得た資産で自身の家を買う/建てることも決してハードルの高いことではなくなった。その結果、女性にとって「漫画家になる」という選択肢はごく自然なものとなり、いわば漫画家たちの「家」こそが、女性が漫画家になることが世間的に認められた、ひとつのシンボルとなっていったのだ。

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