映画版が公開中 現代の怪談『女子高生に殺されたい』は鬼才・古屋兎丸の集大成だ
「新装版」で描き下ろされた恐ろしいエピローグとは?
実際、物語の終盤で、臨床心理士の深川五月が出した結論(査定)も、春人の場合の「殺されたい」という欲望は、「愛されたい」という願望と等しい、というものであった。そう、両親から干渉されずに育った春人は、心の底では常に誰かにかまってほしいと願っており、それが、「可愛い女の子」、引いては「女子高生」に「愛されたい」という心理につながっていたのだ。大学時代に心理学を学んでいた春人は、いったんはこの五月の考えを理解し、納得した――かのようにも見えたが、仮にそれが“オチ”だったとしたら、本作は90年代以降さんざん描かれてきたステレオタイプのサイコホラー、いや、ただの安っぽいヒューマンドラマに終わっていたかもしれない。
むろん、古屋兎丸はそれにもう“ひと捻(ひね)り”加えており、だからこそ、本作はゾッとするような“現代の怪談”として成立しているのである。具体的にその“ひと捻り”が何かを書くのは避けるが、要は、東山春人がこだわっている「ターゲット」は、もはや「女子高生」ですらない、ということだ。
やがて春人は、自分を殺してもらうために、ある人物の中で眠っている“怪物”を再び目覚めさせることになるだろう。これは、「愛されたい」という受動的な願望ではなく、むしろ、「愛したい」という能動的な感情からくるものかもしれない。そして、それを予感させるような恐るべきエピローグが、「新装版」では新たに描き下ろされているので、旧版のコミックスを既読の方も、興味があればぜひ読まれたい。
いずれにせよ、本作は、『自殺サークル』、『少年少女漂流記』、『幻覚ピカソ』、『人間失格』などで、人間の心の闇や妄想と現実のカオスを描き続けてきた、鬼才・古屋兎丸の集大成的な作品だといっても過言ではあるまい。