月刊オカモトショウ特別編 親友と語り合う、よしながふみ『愛すべき娘たち』の特別さ

オカモトショウが親友と語る、よしながふみ

社会が求めるものが、表現として出てくる

白石:ちょっと話が変わりますけど、武富健治先生の『鈴木先生』っていう、中学教員が主人公のマンガのなかに好きなセリフがあって。学生同士が言い争いをしているときに鈴木先生が「普通の人同士でも不幸なことは起きる」って言うんです。どちらかが強い悪意を持っているわけでも、「悪いことをしてやろう」と思っているわけでもないのに、トラブルは起きるそういう状況を指した言葉なんですけど、そんなつもりはなかったのに、関係が上手くいかなかったり、気持ちが離れてしまうような経験って、誰にでもあると思うんですけどそういうシーンをスッと描いてしまうのが、よしながふみのすごさだなって。絵柄も話の運びも、スッキリ読ませるし、独特の読後感があって。それはもう、技術ですよね。コマ割りもすごいんですよ。マンガって通常、Aという人物、Bという人物の位置をあまり変えちゃいけないことになっていて、でも、よしながふみは意図的に構図を変えるんです。ページをめくると、二人の位置が逆になっていたり。

ショウ:(ページをめくりながら)あ、ホントだ。

白石:そこでドラマを見せている。あと、“吹き出しのなかに文字を入れ過ぎちゃいけない”というのもマンガのルールですけど、よしなが先生の作品には意図してめっちゃ言葉を詰めた吹き出しがある。

ショウ:表情だけで見せるコマがあって、次のページにいくと、いきなり吹き出しの文字が増えたりするね。

白石:そう。情報のコントロールがめちゃくちゃ上手くて、それも物語の運び方につながっている。

ショウ:なるほど。素晴らしい解説(笑)。

――『愛すべき娘たち』は約20年前の作品ですが、女性の生き方、結婚観など、今読んでもハッとするテーマがありますね。

白石:確かにそうなんですけど、そういう例えば「女の人の生き辛さ」みたいなものって、いつの時代も常に横たわっていたわけで、それがやっと”男も見ているテーブル”に上げられ始めた、ってだけの話だと思うんですよね。よしながふみがこの作品に女性のあり様を描いているのは間違いないですけど、そもそも少女マンガの歴史は、女性の社会進出とともにあったことも事実で。そのときどきの女性の姿が、ときに戦いの表層として、マンガにも表れているというか。それは音楽も同じですよね。社会が求めるものが、表現として出てくるわけだから。マンガの話に戻ると、僕は男だし、母と娘の関係を完全に理解することはきっとできないけれど、物語を読むことで、自身とは離れた場所にある人々の関係性を想像する、捉えようと試みるための一つの助けになっているとは思う。

ショウ:倖介には妹がいるけど、俺は姉も妹も居ないから、余計にわからないかも。母と娘の関係は想像するしかないし、このマンガを読むことで、少しでも理解が深まるといいなとも思いますね。

白石:『愛すべき娘たち』を初めて読んだのは高校生のときなんだけど、1話の冒頭で、母親が娘にきつくあたる場面があって。娘が「それは八つ当たりだと思うの!! 」って言うと、「親だって人間だもの 機嫌の悪い時くらいあるわよ!」って返すんだけど、衝撃を受けてしまって。そのシーンと出会ってから、親を「他人」として見ることができた。自分の中で「子供の時間」が一つ終わるきっかけになった作品なんだよね。

ショウ:なるほどね(笑)。

白石:「そりゃそうだ。機嫌の悪い時、あるよな。仰るとおり!」と思った(笑)。

――話は尽きないですが、お二人のマンガ・トーク、まだまだ聞きたいです。次回もお願いできますか?

ショウ:ぜひぜひ。次回も名作を紹介したいと思います!【後編は近日公開】

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