『ルックバック』「漫画」の力を信じている作家が描いた、力強い「背中」に込めたもの

『ルックバック』藤本タツキが信じる「漫画」の力

※本稿には、『ルックバック』(藤本タツキ)の内容について触れている箇所がございます。同作を未読の方はご注意ください(筆者)

『チェンソーマン(1)』

 なかなか『チェンソーマン』の第2部が始まらないと思っていたら、こんなものすごい漫画を描いていたのか、藤本タツキは! いや、なんのことかといえば、それはもちろん、いまSNSなどで話題騒然の作品――『ルックバック』のことだ。

 『ルックバック』は、7月19日、「少年ジャンプ+」にて公開された、藤本タツキによる新作読切漫画である。読切とはいえ、143ページという“大作”であり、同作が公開されるやいなや、深夜であるにもかかわらず、数多くの絶賛の声がSNS上を飛び交った。そうした声の中には、藤本の“同業者”であるプロの漫画家たちによるものも少なくなく、それだけこの『ルックバック』という作品には、「ものを作る人間」たちの心に強く訴えかけてくる“何か”がある、ということだろう。

敵わないと思っていた相手が実は自分の才能を認めてくれていた

 主人公は、学年新聞で4コマ漫画を連載している小学4年生の少女「藤野」。クラスで一番絵(漫画)が上手く、スポーツも得意な彼女は皆の人気者だったが、ある時、隣の組の不登校の生徒「京本」が描いた4コマ漫画が同じ新聞に載ることになり……。

 藤野は、京本の漫画――いや、リアリズムの絵を見てすぐに敵わないと思い、一度挫折しそうになるが、気を持ち直してがんばる……のだったが、6年生の時に再び挫けて、筆を折る。そして、ひょんなことから卒業式の日、京本の家に卒業証書を届けにいくことになるのだが、そこでそれまで顔を見たこともなかった“ライバル”と、彼女は初めて出会うのだった。

 ここから先の展開が、なかなかいい。上記のように、藤野にとって京本は倒すべきライバルのような存在だったが、京本にとっての藤野は、憧れの「先生」であり、「漫画の天才」だったということがわかるのだ。そう、この、絶対に敵わないと思っていた相手が実は自分の才能を認めてくれていたという、グルッと世界が反転するような不思議な感覚。そういう奇跡が起きることもあるから、人は何かに打ち込むことができるのだろう(その“喜び”を噛み締めながら、雨の中で踊る藤野の姿を描いた場面のなんと美しいことか)。

 のちに、ふたりはコンビを組み、中学生にしてプロの漫画家としてデビュー(新人賞に入選)する。そして順調に短編を発表し続け、高校卒業とともに連載が決定するのだが、そこで最初の“別れ”が訪れる。

 藤野はプロの漫画家としての道を突き進み、「もっと絵が上手くなりたい」という京本は、美大へ進学するのだ。ここから先の衝撃的な展開は、(同作はいま、期間限定で「少年ジャンプ+」にて無料公開されているので)、実際にその目で確かめてほしいと思うが、藤野と京本のふたりには、再び、取り返しのつかない“別れ”が訪れてしまうのである。

 なお、すでに多くの論者が指摘しているように、この『ルックバック』という作品には、クエンティン・タランティーノ監督の映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と、Oasisの「Don’t Look Back in Anger」という曲が少なからず“共鳴”しているのだろう。特に後者で歌われている、「怒りで過去を振り向くな」というようなテーマは、この漫画の最後に主人公が選ぶ決断そのものだといっていい。

 そう――何があろうとも、「描くこと」を選んだ人間は、諦めずに前を向いて描き続けるしかないのである。なお、この種の「喪失と再生の物語」といえば、2019年に突如ブレイクした平庫ワカの『マイ・ブロークン・マリコ』のことを思い浮べる向きもおられようが(こちらも第1話がWebで公開された直後に拡散し、話題になったという共通点がある)、個人的には、『村上龍映画小説集』(村上龍)の一編で描かれている、ある場面を思い出した。

 こちらの主人公は、若き日の作者の分身ともいうべき美大生だが、一緒に自主映画を撮っていた友人が、ある時、就職のコネ作りのために「オフクロと例のオジさんとメシ」を食いに行くことになる。ひとり残された主人公は、中野の公会堂でフェリーニの『甘い生活』を観た後で、こんな手紙を友人のアパートの郵便受けに突っ込むのだった。

 フェリーニはすごい。お前は映画をやれ、代理店なんか止めろ、一緒にいつか映画を作ろう。

 だが、結果的にその友人は大手の広告代理店に就職する道を選び、一方の主人公は、小説家になって、何本かの映画も撮ることになる。

 (引用者注:フェリーニの映画をすごいと思った夜――)からだが冷えきっていて、瓶の底の方に少し残っていたウイスキーを飲んだ。描きかけの絵と、書きかけの小説があって、両方とも破りたくなった。だが、私は、破らなかった。
〜『村上龍映画小説集』村上龍(講談社文庫)所収「甘い生活」より〜

 そう――自分よりもすごい才能と出会った時、あるいは、やっと手に入れた頼りになる相棒を失った時、人は、すべてを止めてしまいたくなるだろう。しかし、それでも、たったひとりでも歯を食いしばり、「続けられた者」だけが辿り着ける境地がある。

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