結婚しなくても幸せになれる時代、それでも結婚したいのは――『婚活迷子、お助けします。』最終回

『婚活迷子、お助けします。』最終回

婚活迷子、お助けします。 仲人・結城華音の縁結び手帳

やっと、選ぶとおっしゃいましたね

 うつむき、紅茶のカップを手にとった志津子の瞳が潤んでいたのを、華音は見逃さなかった。ぎゅう、と胸が締めつけられるのを感じて、華音の目頭も熱くなる。……よかった。よかったですね、志津子さん。そう言って抱きしめたくなる衝動も、懸命にこらえる。

「僕は正直、運命とか全然信じていないし、この人じゃなきゃだめ、みたいなことって実はあんまりないと思っているんです。仕事もそうですけど、人と人とが繋がるのって運とタイミング次第だし……努力ってあんまり関係ないような気がしていて」

 そう言って、幸次郎は頭をかく。

「志津子さんじゃなきゃだめ、俺じゃなきゃだめ、ってことはないかもしれない。お互い、他にもっと合う人はいるのかもしれない。でも、今僕の目の前にいるのは志津子さんだけだから……その縁を続けていくための努力は、したほうがいいんじゃないかなって思ってます」

「……私も」

 かぼそい声で、志津子が言う。

「これからは、お互いに譲れないこととか、気になるところとか、出てくるかもしれない。でも、好きでいてもらう努力も、幸次郎さんを好きでい続ける努力も、したいなあって思いました。そのために話しあったり、譲りあったり、できたらなあって」

「……お幸せなんですね、志津子さん。これからどうなるかわからないですけど、でも幸せになれそうな、気がしているんですね」

 いつになく熱のこもった声音に驚いたのか、陽彩の視線が華音の横顔に注がれるのを感じる。けれど華音のまなざしはまっすぐ、頬を赤く染めた志津子の、泣き出しそうな顔に向けられていた。はい、と答える志津子の声は、やはりかすれていたけれど、それはただ胸が詰まっているだけで、迷いは感じられなかった。

「母のことも、6カ月の期限がくるまでに少しずつ、改善していきたいと思います。私がちゃんと自立できることを母親にも知ってもらって、幸次郎さんは私がちゃんと自分で選んだ人なんだ、ってことを伝えたい、って」

 もう大丈夫だ、と華音は静かに息を吐いた。幸次郎とうまくいってもいかなくても、志津子はきっと、大丈夫。……そしてそれはたぶん、幸次郎も。

「やっと、選ぶとおっしゃいましたね」

「……え?」

「これまでずっと志津子さんは、選ばれない自分に問題がある、というような言い方をされていました。でも今、ちゃんと幸次郎さんを自分で選んだとおっしゃった。それが、私はとてもうれしいです。そのお気持ちがあればきっと、これから何があっても大丈夫だと思います」

 志津子は一瞬、目をしばたたいたあと、そうですね、とやわらかく笑んだ。

「……これまで私はずっと、どうしたら母に認めてもらえるか、どうしたら母のお眼鏡にかなう人に選んでもらえるのか、ということを考えていた気がします。仕事も、そう。通訳の仕事はたしかに好きで選んだものですけれど、どこかで、どうすればがっかりさせずに済むか、とそれがいちばんの指標になっていて」

「それはそれで、ご立派なことだと思いますけど」

「そうですね。……私に違和感がない限りは。でも、このままじゃ私も母も幸せになれないなって思いました。自分で選ぶ。自分で決める。それはすごく大事なことなんだなって、今は思うんです。幸次郎さんも、同じことを言っていたんですよ」

「幸次郎さんも?」

 視線をやると、幸次郎は恥ずかしそうに口をすぼめた。

「僕なんか、選ぶ立場にはないと思ってたんです。だから、どうして俺は選んでもらえないんだろうっていつもがっかりしてました。でも逆の立場で考えたら、受身でただ待ってるだけのやつ、よっぽどの好みじゃなきゃ置いていきますよね」

「私たち二人とも、自己評価が低いようで、けっきょく誰より高かったのかもしれません」

 と苦笑して、志津子は紅茶を飲み干す。その上品な指先を見つめながら、華音はぽろりとこぼした。

「お母さまとの件、うまく進むといいですね」

 あれほど激していても志津子の母・絢子は終始うつくしく、品のあるたたずまいを乱すことはなかった。志津子の、食べかけのケーキの断面はナイフでカットしたようにきれいで、華音のそれだって決して汚くはないのだけれど、なにかが違う。幼いころから母親に躾けられたきたものは志津子の美徳として無意識ににじみでていて、それはきっと体面を気にしてだけのことではなく、愛情をもって積み重ねられてきた日々の賜物なのだろうと華音は思った。

「……母のことは好きですし、仲違いしたいわけじゃないんですからね。全部を理解してもらおうとは思わないけど、根気よく、うまくやっていこうと思います」

 それに、と志津子の瞳がいたずらっ子のように、したたかに光る。

「母だって、私が完全に離れていくのはきっとさみしいでしょうからね」

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