賛否両論の『THE RIBBON HERO リボンヒーロー』は『リボンの騎士』から何を受け継いだのか?


Netflix映画『THE RIBBON HERO リボンヒーロー』が話題だ。8月8日に配信が始まるや、スピーディーでスタイリッシュなアニメに感嘆の声が上がる一方で、原案となった手塚治虫の漫画や、それを原作にしたアニメ『リボンの騎士』との関係を気にする声も出ている。かつて『リボンの騎士』は世界に何をもたらしたのか。今の時代に『THE RIBBON HERO リボンヒーロー』は何をもたらすのか。
「女性でも道を拓けるんだ、女性でも戦えるんだ、それと同時に、女の子としてドレスが好きだということも手放さなくて良いんだということを、見せてくれた作品でした」。マンガ研究家で、明治大学国際日本学部教授の藤本由香里が、そう言って『リボンの騎士』がもたらした影響を話せば、新潟大学人文学部教授の石田美紀も、「どちらかを取ればどちらかが消えるということが多々ある世界で、あなたの好きな時に好きなようにすればいいと言ってくれている作品でした」と言って、作品が持っていた自由への称揚を指摘する。
新潟市で開かれた「第4回新潟国際アニメーション映画祭」のプログラムとして、2月22日にTVアニメ『リボンの騎士』が上映され、トークイベントが行われた際に登壇した2人の女性研究者が口にしたのは、漫画やアニメの『リボンの騎士』が、とにかくエポックメイキングな作品だったという賞賛だった。藤本は、「いろいろな可能性を示してくれた作品でした。それを受け継いだ次の世代の作家が、バリエーション豊かに繰り広げていったことが、今の日本の財産になっています」と続けて、世界で人気となっている日本のエンターテインメントの根源にある作品であることを、改めて指摘した。

言うまでもなく『リボンの騎士』は、漫画の神様として知られる手塚治虫が手がけた少女漫画であり、それを原作にしたTVアニメだ。漫画の方は、「少女クラブ」や「なかよし」「少女フレンド」といった少女向けの雑誌や漫画雑誌に連載された。TVアニメは、1967年から68年にかけて放送され、ワクワクさせてくれるストーリーや冨田勲の弾むような音楽が、当時の子供たちから支持を集めた。
何種類かある漫画で最も知られているのは、63年から66年にかけて連載された「なかよし」版だ。天使のチンクのミスで、シルバーランドの王女として生まれたサファイアに、女の心と男の心が入ってしまう。その影響か、サファイアは生まれた時から外向けには王子として振る舞うことを強いられ、剣や乗馬に勤しみながら成長していく。
もっとも、女の子の心も持っていることから、外の目が届かないところでは、ドレスを着て女の子のように振る舞っていた。そこに、王が急逝するという一大事が起こり、次の王にサファイアが浮上する。ところが、誕生時からサファイアの性別を疑っていたジュラルミン大公の企みによって、サファイアが本当は女の子であることが暴露されてしまう。
そこから、サファイアの流転しながら様々な冒険を繰り広げる長い長い物語が紡がれていく。
読んでいると、サファイア本人は体も女の子なら願っている生活も女の子のようなものだったにも関わらず、王子として国を継がなくてはならない立場もあって、男の子のふりをしていたように見えなくもない。心の性と肉体の性の違いからくるギャップのようなものはあまりなく、王子という役割に相応する性を偽らざるを得ない苦しみのようなものが漂う。
そこで、自分は本当は女の子なんだからと投げ出さないところは、体に入っている男の心も関係した、王子という立場を裏切れない責任感があるからなのかもしれない。そうした狭間で揺れながら、自分はいったい何者なのだろうと探求していく物語。それが、『リボンの騎士』という作品なのだろう。
ただ、漫画を読みアニメを見た人には、それぞれに思い抱くことがあった。「私は剣がすごく好きで、サファイアの戦う少女的なところにすごく惹かれていました」と振り返る藤本は、同時に、「でも、すごくお姫様が大好きな子供だったんですね。なので、この両方を持っても良いというところ、チェンジできるところが魅力的で、惹かれていたんだと思います」と言って、サファイアの性別を越境した存在感を、『リボンの騎士』の見どころとして挙げる。こうした受け手の感覚もあって、『リボンの騎士』がジェンダーについて問われた作品だといった認識に至ったのかもしれない。
この認識を元にした時、『THE RIBBON HERO リボンヒーロー』は果たして『リボンの騎士』たり得るのかどうなのか。舞台は、漫画やアニメと同じシルバーランドだが、ネルガルと呼ばれる一種の怪物によって蹂躙されて、滅亡は必至といった状況にある。サファイアの母親の王妃も瀕死の状態。最後の力を振り絞って、まだ無事だったサファイアに、「あなたに出来ることは何もない。受け入れるしかないの」と告げてシルバーランドから立ち去らせる。
ばあやのような存在のジルコと共にシルバーランドを離れたサファイアは、ゴールドランドという国にたどり着くが、身一つでお金も何も持っていなかったため、食べるために鉱山でクリスタルを採掘する仕事に就く。そこに現れたのが、サファイアにとって仇とも言えるネルガル。鉱山を監督しているベルベットは鉱夫たちを逃がそうとするが、サファイアだけはネルガルに立ち向かい、その身に秘めたリボンの力を解き放ってネルガルを撃退する。
少女が剣を取って戦うところは、『リボンの騎士』から続くバトルヒロインの最先端。『リボンの騎士』では特徴に過ぎなかったリボンが、サファイアに力を与える重要なアイテムになっているところは、「リボンヒーロー」というタイトルをより意味あるものにしている。リボンは以後も、サファイアの戦いに重要な役割を果たし、彼女をネルガルから人々を守る救世主へと祭り上げていく。
そこに落とし穴。ネルガルはただのモンスターではなかった。何か役割を背負って世界を脅かしていた。次元を超えての侵攻。シルバーランドのような崩壊を防ぐには、真っ向からの対峙ではなくクリスタルを与えて沈静化させる必要があった。それでも暴れるネルガルには生け贄が必要。誰かを犠牲にして大勢を救うか、犠牲を厭いその結果として世界が滅びるのを受け入れるのか。そんな二者択一を突きつけられてベルベットは苦しみ、サファイアも迷う。
男の子なのか女の子なのかといったこととはまた違った、生存がかかったシリアスで過酷な選択を迫られる場面だが、そこは『リボンの騎士』だ。自分のやりたいという思いに従うことで、誰も予想していなかった道が拓かれる。
性別に依拠した役割からの脱却という、『リボンの騎士』から浮かんでくるテーマは確かに薄い。それでも、『リボンの騎士』から感じ取れた、自由に向けての闘争というものがシチュエーションを変えて浮かび上がって来る。女の子でも剣を取って戦って良いんだという、『リボンの騎士』が拓き後に数々の作品が続き、「女の子だって暴れたい」というキャッチフレーズで始まった長大なシリーズまで生み出したテーマが、回り回ってこれでもかというくらいに描かれる。
『THE RIBBON HERO リボンヒーロー』はだから、TVアニメから約半世紀を過ぎた状況下で精一杯に『リボンの騎士』を描こうとした結果、生まれた作品なのだと言える。もちろん、今も完全に平等で自由な状況になったとは言えない性別からくるギャップに、果敢に挑む必要はあるかもしれないが、それをバトルアクションの中で描くべきかは判断に迷うところ。そして、今回は選ばれなかった。
だから、そのことはいつか探求される必要があるだろう。今回はまず、原典としての『リボンの騎士』の存在に目を向けさせ、主題への議論を惹起させつつ現代的な思考とフォルムを持ったサファイアを提示して見せたことを讃えたい。現代ならではのハイエンドな技術で作られた、スピーディーかつスタイリッシュな映像の中で、サファイアのかっこよさを見せつけたところも良い。ここから改めて、手塚治虫が残したものへの探求が始まるのだ。
触れておくなら、ベルベットというキャラクターが、内山昂輝の声で話すという点で男性でありながらも、顔立ちは女性のように美しく、衣装も黒いタイツにスカートにピンヒールといった風情で、美しい女性と言われても存分に通る。そうした性別の越境なり超越が果たされたキャラが存在して、忌避されるどころか大歓迎される状況が、どこから始まったのかを思い出させる意味で、『リボンの騎士』を源流にした作品なのだと言える。
それでもなお心残りがあるのなら、どのような物語こそが21世紀も4分の1が過ぎた今にふさわしい『リボンの騎士』なのかを、自分で考えてみるしかない。誰も止めない。誰にも遠慮することがない。そうした自由さもまた、『リボンの騎士』が拓いた道なのだから。
























