山田風太郎の名作はコミカライズでどう生まれ変わった? 『風太郎不戦日記』が描き出す、蟲惑的な“色気”

『風太郎不戦日記』コミカライズの表現

 山田風太郎といえば、『甲賀忍法帖』や『魔界転生』などで知られる戦後日本を代表するベストセラー作家のひとりだが、そうした伝奇小説や時代小説のヒット作とは別に、『戦中派不戦日記』という優れた日記文学のロングセラーがあるのをご存じだろうか。

名もなき医学生の日記

『戦中派不戦日記 山田風太郎ベストコレクション』(角川文庫)

 同書で記述されているのは昭和20年――すなわち終戦の年に起きた出来事の数々だが、当時、名もなき医学生だった山田青年の心情が赤裸々に綴られているだけでなく、戦時下の民衆の日常もこと細かく描かれており、それらはいまとなっては他にあまり類を見ない貴重な記録になっているといっていいだろう。山田自身、「まえがき」で、「戦記や外交記録などに較べれば、一般民衆側の記録は、あるようで意外に少ない」と書いているとおりだ。

 たしかに、「去年大阪帝大の医学部で検査してみたら、夜七時以後の銭湯の細菌数、不純物は、道頓堀のどぶに匹敵したそうである」などというような俗な話が、戦記や外交記録のたぐいに載ることはあまりないだろう(山田をはじめとした多くの町の人々は、その“汚さ”がわかっていながら、なぜか毎晩銭湯へ通う。それは、「夜工場から帰っても、何一つ娯楽はなし、火鉢一つ抱けない時勢なので、せめて一つの娯楽、暖房として銭湯にでも入るほかはない」からだ。また山田は、そうした“分析”とともに、昭和20年頃には銭湯から「いかにも青年がいなくなった」という“現状”も冷静に書きのこしている)。

 ちなみに、“作家・山田風太郎”はどことなく“反骨”のイメージが強いと思うが、本書のタイトルにある「不戦」とはあくまでも彼が「戦争に行かなかった」という事実を述べているだけであり、「反戦」という言葉とイコールではない。肋膜炎のため入隊を免れた山田は、昭和20年という「恐るべきドラマチックな一年間」を“体験”した自分について、こう書いている。

「ただ私はそのドラマの中の通行人であった。当時私は満二十三歳の医学生であって、最も『死にどき』の年代にありながら戦争にさえ参加しなかった」

 だが、そうした“傍観者”ならではの視点が、この日記に独自のリアリズムを与えているのは間違いないだろう。そう――愛国の情を持ちながら、かといって日本の必勝を信じているわけでもないという、戦時下を生きるひとりの若者のリアルな感情が、本書には刻み込まれているのだ。また、コロナ禍である現在はもちろんだが、いつの時代でも、多かれ少なかれ若者というものは目に見えない巨大な不安と戦っているわけであり、そういう意味でも、本書の「主人公」である山田青年が悩み、“大きな何か”に抗っている姿は普遍的な魅力を持っているといっていいだろう。無論、この日記を書いていた当時の山田は、のちにこれが「文学作品」になるなどとは露ほども思っていなかっただろうが、「孤独な青年の苦悩」や「人間の生と死」、そして「庶民の目から見た戦争の姿」が生々しく描かれた本作はまぎれもない「文学」である。

『風太郎不戦日記(1)』(講談社)

 さて、前置きが少々長くなってしまったが、本稿で紹介したいのは、この『戦中派不戦日記』を勝田文が漫画化した、『風太郎不戦日記』という作品だ。いかなる意図のもとにこのコミカライズの企画が始動したのかを部外者である私が知るすべはないが、『モーニング』での連載開始は2019年であるから、コロナ禍の現状と戦時下の世界を重ね合わせたというわけではないだろう。となればやはり、先に私が述べたような原作がもともと持っているある種の普遍性が、いまを生きる若者の胸をも打つだろうと、作者なり編集部なりが判断したのだと思われる。

 まずはこの漫画、なんといっても、主人公・山田青年の「皮肉屋」でありながら時に激情をあらわにする「キャラクター(個性)」がとてもいい。そして、その「キャラクター」を構成するもっとも重要な要素のひとつである「ビジュアル」――つまり、勝田の描く味のある“画(え)”がまた、なんともいえずに「いい」のだ。勝田はこれまで主に少女漫画の世界で活躍してきた作家だが、抑揚のない細めの線と白黒の強いコントラストが生み出す美しいビジュアルは、山田風太郎作品全般にうっすらと漂う蟲惑的な“色気”のようなものを見事に再現しているように思える。

 また、「再現」といえば、本作を描くにあたり、作者はかなり綿密に昭和20年当時の資料を集め、取材をしているのだろう。人物の服装だけでなく、細かい道具類から建物の描写にいたるまで、可能な限り“当時の景色”がコマの中でリアルに再現されており(ここでいっている「リアル」とは、必ずしも劇画的ないし写実的な画を意味しない)、文字の連なりとして書かれているだけの原作では、現代の読者には伝わりにくい(と思われる)“あの時代”のビジュアルをはっきりと見せてくれるのだ。

 そして圧巻は、先ごろ発売された2巻のクライマックスシーンである。

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