『海辺のエトランゼ』が“BLの入門書”と称される理由 優しさに満ちた世界

『海辺のエトランゼ』が心に響く理由

    思い切って遠出できない雰囲気が漂っていた、2020年の夏。その寂しさを救ってくれるかのような、沖縄の離島を舞台にした映画『海辺のエトランゼ』が9月11日から公開されている。原作は紀伊カンナによる同名コミックだ。

描かれる、優しさに満ちた世界

 BL、男性同士の恋愛を描いたボーイズラブ作品である同作。露骨な性描写を感じる表紙やタイトルも少なくないBLコミックの中で、初心者向け、入門書として挙げられることも多い作品だ。「心が、洗われるようなボーイズラブ。」というキャッチコピーにふさわしい、優しさに満ちた世界が描かれている。

 メインキャラクターは、小説家の卵でゲイの橋本駿(はしもとしゅん/以下、駿)と、家族を亡くし天涯孤独の身になったフリーター知花実央(ちばなみお/以下、実央)。ふたりの恋は、高校生だった実央に駿が「下心」で声をかけたのをきっかけに始まる。その後実央が施設に入るため島を離れるものの、3年後再び駿のもとへ帰ってきて恋を育んでいく。

 恋を育むといっても、何もかもがうまくいくわけではない。

 ゲイである駿は、そうではない実央と恋人関係になることを、簡単には受け入れなかった。自分から好意を向けたにもかかわらず、だ。そこには駿が感じてきた「ゲイとして生きることの難しさや痛み」を、実央に味わわせたくないという思いがある。はっきりしない駿に自分の気持ちを抑えずに突き進め、と言いたくなるかもしれないが、ここには痛みを知っている彼だからこその深い優しさが感じられる。

 一方実央は、家族を亡くして「寂しそう」「かわいそう」という慰めを向けられることに嫌気がさしていた高校生の頃に、「ただの下心」で声をかけてきた駿の存在に救われている。ただ当時は、男である駿からの好意をどう受け止めればいいのか分からずにいた。だから島を出た3年間に実央は、ゲイバーのママに教えを請う。つまり実央が再び駿の前に現れ気持ちを伝えたのは、じっくり考えた上での「駿と一緒にいたい」という結論だったのだ。きっとこの結論に至るまでには、ゲイの生きづらさとも向き合ったことだろう。そこも含めて駿の好意と向き合ってきた実央の「好き」には、濁りがない。

 周囲から向けられる目や先入観を気にせず、目の前の相手をただ純粋に想い結ばれたいと願うことは、案外難しいことではないだろうか。自分の立場や家族の想い、世間体、過去の恋愛による傷……。「そんなハードルを気にせずに気持ちは伝えるべきだ」と言うのは簡単だが、それができたらどんなに楽かと思うくらいには、恋愛というものは複雑だと思うのだ。だから実央の純度100%の「好き」には憧れを、駿の前に進むのをためらう「好き」には愛を抱かずにはいられないのだ。

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