『ぼくの地球を守って』紫苑と玉蘭はなぜわかりあえなかったのか? 厳しい結末が突きつける真理
『ぼくの地球を守って』という作品のすごさの一つは、人と人がわかりあえないまま終わることが当たり前にありうるということを、厳然と描いている点だろう。
これは紫苑と玉蘭に限ったことではない。作中には、紫苑と木蓮、それぞれの視点からの回想があるけれど、同じシーンでも印象が全く異なっていることがある。木蓮にとって重要なセリフが紫苑にとって何気ない言葉だったり、その逆だったりすることを、読者だけが知っている。2人は驚くほど簡単に勘違いし、すれ違う。その結果、物語の争点は「木蓮と紫苑は愛し合っていたのか?」という2人の主観の問題に収束していくのだ。
木蓮が自分に似ていると感じ、玉蘭が彼女に惹かれていくのを見て、紫苑がこんなふうに思う場面がある。
“理解出来ないって悟った方が愛が育たないか?”
月基地がまだ平和だった頃のワンシーンだ。この時の紫苑がどこまで理解してこう考えたかはなんとも言えないけれど、この言葉はひとつの真理のように思う。
現実の私たちは、漫画の読者のように俯瞰してすべてを知ることはできない。物事は自分の目というフィルターを通してしか見ることができず、他者とわかりあえているかを確かめる方法もない。
それでもわかりあいたいと思うならば、まずは「わからない」というところから始めるしかないのかもしれない。この作品の描く厳しさを感じるにつけ、そんなふうに思う。
■満島エリオ
ライター。 音楽を中心に漫画、アニメ、小説等のエンタメ系記事を執筆。rockinon.comなどに寄稿。満島エリオ Twitter(@erio0129)