『ヒロアカ』スピンオフ漫画『ヴィジランテ』が問いかける、“本当のヒーロー”とは?

『ヴィジランテ』が問う、“ヒーロー”とは

 『僕のヒーローアカデミア(以下ヒロアカ)』のスピンオフ漫画、『ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-(ヴィジランテ)』が面白い。ヒーローとはどういう存在なのかという、本編のテーマを別角度から見事に掘り下げており、その深度は部分的には本編よりも深いと言ってもよいくらいだ。

 タイトルにある「ヴィジランテ」とは自警団のことだ。『ヒロアカ』世界では、ヒーローとなるには公認の試験に合格せねばならない。国家によってヒーローが半ば公務員のような立場になっているのだが、自警団は公認された組織ではなく、自発的に治安活動を行う者たちを指す。本作は、ヒーローに憧れるも、ヒーロー免許を取得できなかった青年、灰廻航一(コーイチ)の非合法なヒーロー活動を描いている。

 『ヒロアカ』本編の主人公たちはヒーローを養成する学校の生徒であり、公的なヒーローを目指している。コーイチはそんな存在になり損ねた「取るに足らない」存在だ。しかし、それゆえに『ヴィジランテ』は『ヒロアカ』本編が拾いきれない問題点を正面から描くことが可能になっている。そして、その問題点は、『ヒロアカ』世界の根幹を成すヒーロー公認制度の本質に迫るものなのだ。

 それは、物語の導入部である0話にすでに端的に表れている。『ヴィジランテ』は以下のような会話から始まる。

オールマイト「自警団(ヴィジランテ)、それは法に依らず自発的に治安活動を行う者、ヒーローの原点(ルーツ)とも言われているんだ」

相澤消太「だがヒーロー公認制度の確立した社会じゃ、私的な自警行為そのものが犯罪だ。現代においてはせいぜい敵(ヴィラン)の変種といったところだな」

 自警団はヒーローの原点にもかかわらず、今は犯罪者なのだと言う。『ヴィジランテ』はこの矛盾を徹底的に突いていく。それもコーイチの善なる行動によってだ。

人助けしたせいでヒーローになれなかった主人公

 本作の主人公、コーイチは『ヒロアカ』本編の主人公デクと同様、ヒーローの頂点オールマイトに憧れる青年だ。彼は、デクと違い、個性を発現させているが、生身でスケートのように滑る「滑走」と言う冴えない個性しか持たない。彼は「親切マン」と称して能力でお年寄りを助けたり、落とし物を拾ったり、ごみ拾いをしたりして社会を良くするように自発的に活動している。

 しかし、0話で相澤はこれに対して「これは犯罪だから真似しないように」と生徒たちに呼びかける。誰がどう見ても善人の行動なのに、能力をみだりに使っているから法に抵触するのだ。

 『ヒロアカ』世界では、人口の大部分が特殊能力を発現させており、能力を抑制しないと秩序を維持できない。国家に認められたプロヒーローだけが治安維持のために街中で能力を使うことを許されている。それゆえ、あらゆる自警行為は犯罪なのだ。

 しかし、ここでヒーローに関する一つの疑問が生じる。試験に合格しさえすればヒーローで、高い志と善なる心を持っていても、試験に落ちたらヒーローではないのか。

 コーイチはかつてプロヒーローを目指し、デク達も通う雄英高校の入試を受けようとしていたことが8話で明かされる。しかし、彼は不合格だった。理由は試験当日、川で溺れていた女の子を助けたために遅刻してしまったからだ。皮肉にも、コーイチは人助けをしたせいでヒーローになれなかったのである。

 だが、その女の子にとってコーイチはまぎれもなく「ヒーロー」だ。社会に認められずとも、誰かにとってのヒーローにはなれる。法律や制度ではない、ヒーローにとって最も大切なものは「思い」ではないかと本作は訴えるのだ。

 こうした主張は、実は『ヒロアカ』本編に登場するヴィランの一人、英雄殺しのステインの考え方に近い。『ヴィジランテ』にもステインと思われるキャラクターが登場するが、コーイチやその師匠ナックルダスターへの共鳴を表明し、上辺だけの覚悟のないヒーローこそ、ヴィランより罪深い「英雄紛い」だと言う(第11話)。彼の言う覚悟のない者とは、つまり「思い」の足りない連中のことだ。

 『ヴィジランテ』は、『ヒロアカ』本編では悪役によって提示された価値観を、善性を貫く主人公側に語らせたと言える。こうして、「ヒーローとは何か」という作品世界全体に通底する問いかけを一層深くしているのだ。

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