くどうれいんが語る、俳句・短歌への目覚めとインターネット 「全員を感心させるのではなく、たった一人を打ちのめす文章を」

くどうれいんが語る、インターネットと執筆

かっこいい魔女たちに一生かわいがられたいと思った句会での経験

――お母さまと一緒に俳句の会に入ったのも、中学時代ですよね。

くどう:そうですね。句会での体験も、よくネット上の日記に書いていました。中学生にとって70歳の人って、自分のおじいちゃんおばあちゃんしか知らない。うちの祖父母は農家なので、でっかい皿にでっかい料理を作って、盆踊りを踊るみたいな感じ。でも、句会にいるじじばばって、結構おしゃれなんですよね。ストローハットをかぶっていたり、かわいいブローチをつけていたり、すごい色や柄のワンピースや着物を着ていたり。そして、「そこのお花がすごくきれいなのよ」とか「玲音ちゃんには、愛はまだ早いわね」とか、そういうことをうふふうふふと話しかけてくる。それが、ものっすごく楽しかった。魔女の集会に混ざっているみたいな感じです。

 「言葉の魔法」みたいな言い方は大っ嫌いなんですけど、短詩をやっている魔女みたいな女性って確実にいる。本当にかっこいい魔女がいっぱいいたので、「この人たちに一生かわいがられていきたい」って思いました。この出会いは大きかった。そして、そういう体験ができる同い年はそんなにいないというのもなんとなくわかっていたから、特別な気がしてすごく嬉しかったんです。

高校時代の「実体験主義」を変えた、東日本大震災

――高校に進学してからは、岩手日報の随筆賞を最年少受賞や、盛岡短歌甲子園で団体優勝をされていますね。

くどう:文芸部の強豪校に通っていました。東北、特に岩手は全国高等学校文芸コンクールでも毎年上位入賞を輩出している文芸部のある高校がとても多くて。ひとりで俳句やったり短歌やったり随筆やったり小説やったり、多ジャンルで執筆する生徒がいっぱいいる。岩手はその中でも純文学的な作品を書く生徒が多いんです。ただ、高校文芸ってどうしても教育だから“高校生が自身の問題で挫折して立ち直る”みたいに、フィクションよりもノンフィクションで、等身大の高校生が等身大の傷つきをした方が、審査員が喜ぶんです。私も実体験が一番偉いと思っていたから、実体験にすごく囚われていた。

 でも、東日本大震災が起きた翌年の全国コンクールの上位受賞者が、軒並み沿岸部か福島の生徒だった。作品としては言葉が粗削りすぎてみていられないくらい残酷で痛々しいのに、沿岸の人たちが沿岸での実体験を書いたものが最優秀になる。被災地の子が東京の審査員から「いまこんなに大変な時に書いてくれたことが本当に偉い、すごい勇気だ」って評されて複雑な顔をしているのを見て、なんかポカーンとしてしまって。そのとき他人が誰かの人生とか境遇を物語化して評価することに対して、ものすごい暴力性と怒りを感じ、実体験を作品にすることや賞をとることについては、どうでもよくなったんです。

 盛岡は内陸部なので、震災から3日後にはもうテレビがつきました。パッとついた瞬間に、黒い波が街を飲み込む映像が流れた。意味が分からなくて笑っちゃったのを覚えています。人間は、マジで怖いと笑っちゃいますね。私自身は震災で傷ついていないのに、岩手出身だというだけで「おつらかったですよね」や応援しようみたいな声が届くのが気持ち悪かった。人が死んでいるのに、“希望”や“きずな”や“人の温かさ”という言葉が傷ついていない人から届いて、なんになるのか、とも。

 高校生だった私たちも盛岡市から被災地の復興支援のために“希望の短歌”をつくれと言われて、バカにしてるんじゃないか、と思いました。被害にあった人たちのことも、私たちのことも。

おめはんど顔ッコ上げてくなんしぇとアカシアの花天より降りけり

 でも、どうしても出さなければいけなくて、この短歌を出したんです。“おめはんど”というのは、岩手の方言で“あなたたち”という意味。イヤだったのに、結局、私も「顔を上げようよ」みたいな歌を作ってしまった。3月11日が来るたびに、この歌を出したことが果たしていいことだったんだろうかと、毎年考えます。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「著者」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる