精神科医・斎藤環が語る、コロナ禍が明らかにする哲学的な事実 「人間が生きていく上で、不要不急のことは必要」
苦痛をあえて引き受ける
ーー「“感染”した時間」では、コロナはSF的な想像力も侵食したと書いていました。これについても改めて教えてください。
斎藤:サイバーパンク以降のSF作品が描いてきた未来は、『ブレードランナー』や『攻殻機動隊』のようにスラムとハイテクが同居したような世界で、私もそうした世界に魅力を感じてきました。しかし、コロナ以降はあのようなイメージを多くの人々が無意識に不潔だと感じてしまうのではないかという懸念があります。とても残念なことですが、その意味でコロナは我々の想像力をも侵食したはずです。ウイルスと共存していく未来像を描くには、また新しい想像力が必要だということだと思いますが、そうして描かれたイメージは果たして豊かなものなのか、今はまだわからないです。
また、SF的な監視技術が実現しつつある状況に、ジョージ・オーウェルの『1984』のようなディストピアの到来を感じる人もいると思います。中国や韓国などは日本よりも監視が進んでいる状況で、たしかに行き過ぎる懸念はありますが、この趨勢はもはや避けられないのではないでしょうか。しかし、管理の方法はもっとソフトな方法になっていき、人々が納得する形で発展していくのではないかと、私は考えています。ひとつ言えるのは、今回のコロナ禍を契機として、反ワクチン運動はかなり力を失うだろうということです。反ワクチン運動は、ある意味では管理社会に対する抵抗であり、その心情は私も理解できますが、このような状況では弱体化せざるを得ないでしょう。今後は、管理社会はけしからんと素朴な対抗論を講じるのではなく、管理システムからいかにして人々に対して有害な要素を除去していくか、議論を進めていく必要があると思います。
ーーようやく緊急事態宣言が解除されましたが、もとの生活に戻ることに対してストレスを感じている人も多いと思います。最後に、精神科医としてのアドバイスをいただけますか。
斎藤:自宅で長らく待機していた方が急に出勤することになり、苦痛を感じるというのはとてもよくわかります。それは当たり前の感覚なので、安心してください。日々、家にいると出かけるのも億劫になったりするものです。しかし、苦痛をあえて引き受けることで日常が維持されていく面がありますし、あるいは意欲ややる気が触発される面もある。逆に人と会ったり、集まったり、現場に行ったりしないと、だんだんと自分自身の価値観なども溶解していきます。非常に憂鬱なのは私も同じですけれども、ストレスをあえて引き受けていかないと、精神のバランスは保てないので、私も一緒に取り組んでいきたいと思います。最初の敷居を越えてしまえば、比較的早く慣れていくことができるはずです。
■書籍情報
『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―』
斎藤環 著 、與那覇潤 著
発売中
価格:1,595円(税込)
出版社:新潮社
『中高年ひきこもり』
斎藤環 著
発売中
価格:800円(税別)
出版社:幻冬舎