精神科医・斎藤環が語る、コロナ禍が明らかにする哲学的な事実 「人間が生きていく上で、不要不急のことは必要」

精神科医・斎藤環が語る、コロナ禍が明らかにする哲学的な事実  「人間が生きていく上で、不要不急のことは必要」

 精神科医・斎藤環氏による新書『中高年ひきこもり』(幻冬舎新書)は、推計61万人(内閣府調査)にも及ぶ40〜64歳のひきこもりについて、正しい知識を伝えるべく著されたものだが、コロナ禍によって多くの人が自粛生活を余儀なくされた昨今においては、よりアクチュアルな意味合いを持つ一冊になったと言えるだろう。自身のnoteにコロナ禍についての独創的な論考を発表し、5月27日には與那覇潤氏との共著『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』(新潮選書)を刊行するなど、評論家としてもますます活躍する斎藤環氏に、コロナ禍とひきこもり問題の接点から、自粛生活の中で気付いた哲学的な問題についてまで、幅広く語ってもらった。(編集部)

コロナ禍とひきこもり問題

『中高年ひきこもり』(幻冬舎新書)

ーー『中高年ひきこもり』は、ひきこもりについての正しい知識を伝える入門書との位置付けですが、コロナ以降の様々な問題を考える上でも、とても有意義な一冊だと感じました。特に、ひきこもりは「困難な状況にある普通の人」であるとの認識は、多くの人々が自粛生活を余儀なくされた日々を鑑みても重要だと感じます。この自粛期間で、人々のひきこもりに対するイメージや、ひきこもり当事者を取り巻く環境に変化はあったと思いますか?

斎藤:何もすることがない状況で、ずっと家にひきこもっていることの辛さや苦しさが多くの人に認識されたとは思います。自粛生活が長引いてきますと、やっぱり家庭がギスギスしてきて、DVや虐待が増えたりする。いかなる家族でも、長期間に渡って密な状態で過ごすのは大変なことで、家族間においてもソーシャルディスタンスは必要なのだと、改めて思いました。ひきこもり当事者の多くもまた、自ら望んでひきこもったのではなく、社会的に困難な状況に追いやられてひきこもっているわけで、その意味では皆さんと同じように苦しんでいます。今回の件を通じて、ひきこもり当事者に対する「毎日、働きもしないで暮らして楽で良いね」という偏見は、多少は減ったのではないでしょうか。

 一方で、ひきこもって過ごすことが直接的な社会貢献につながる状況が、当事者たちの心の負担を軽くした部分もあるでしょう。彼らがもっとも気にしていることの一つに、近所の人の目があるわけですが、それが少なくなったことで却って外出がしやすくなったというケースもあります。しかし、彼らはコロナ禍以前から困難な状況にあって、それが抜本的に改善されたわけではないですし、就労支援などのサポートが機能しなくなっているので、今後はさらに格差が露わになり、彼らを取り巻く状況が厳しくなる可能性もあると思います。また、コロナ禍で職を失った方が自粛生活を経て、そのままひきこもりになってしまうケースは大いにあり得るでしょう。統計的に見ても、退職は中高年がひきこもりとなるきっかけになり得ます。

ーー退職で社会との接点を失うと、復帰が困難になるのは想像に難くないです。本書の「成熟した社会の未成熟な大人たち」の章では、若者たちが非社会的になったことについても触れていますが、こうした状況を見ても、昨今はひきこもりが決して特殊な個人の問題ではないことが伺えます。

斎藤:成熟した社会において、若者の非社会化が進むこと自体は自然なことでもあり、必ずしも悪いというわけではないですが、なかなか抜け出せなくなるという状況があるのが問題です。昭和の頃でしたら、若者の一部は成熟の過程において、不良グループに入るなど、反社会的な行動をとるケースが多かったのですが、今では反社会性がどんどん薄れ、むしろ非社会的になっています。実際、統計的にみても青少年の犯罪率は毎年のように最低水準を更新していて、一方でひきこもりや不登校は増えている。また、非婚化もどんどん進んでいます。

 反社会性は一過性のヤンチャで終わることが多く、ほとんどの人は大人になるに連れて社会性を学び、そういうことをしなくなります。いわば、反社会化には通過儀礼としての側面もある。しかし、学生時代にスクールカーストの下位にいた人が、自分が駄目だと思い込んで進歩を諦めてしまうように、非社会性は社会との接点そのものが少ないため、成熟の機会を得られずに止まってしまうケースが多いです。昨今の中高年ひきこもりの激増を見ても、それは明らかでしょう。

ーー本書では、完全にひきこもりをなくそうとするのではなく、「ひきこもりもいる明るい社会」を目指すべきだとの考えが示されていました。そもそも、生産性の有無で人の価値を判断するのは危険であり、ちょっと疲れた人がひきこもることを許容できる緩い社会こそが理想的であると。

斎藤:今の社会の中でひきこもりになることは、誰にでも起こりうるニュートラルな状態だと認識するのが、まずは大切です。他所の家でお子さんがひきこもっていたとしても、それに対して他人があまり目くじらを立てないようになれば、むしろ当事者は社会に復帰しやすくなるはずです。

 しかし、昨今の状況を見ていると、自粛警察に象徴されるように依然として日本には強い同調圧力があると感じていました。ただ、日本は今回のコロナ対策として自粛要請をしただけで、他国のように罰則を設けたりすることはなかったにも関わらず、先進国の中でも感染者数や死者数がかなり抑えられました。その背景には、日本ならではの協調性や同調圧力の強さもあったのではないかと思うと、問題はなかなか複雑です。

なぜ人は直接会おうとするのか

ーーコロナ禍によって、テレワークを導入する企業が一気に増えました。このことは、「ひきこもりもいる明るい社会」を目指す上でプラスに働くのではないかと。

斎藤:少し極端な話ですが、昨今はASD(自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群)やADHD(注意欠如・多動症)などの発達障害に注目が集まり、一部の人にとっては人間関係や会社で仕事をすることが非常に困難でストレスに感じることが認識されてきています。上司に暴言を吐かれるとか、同僚からいじめを受けるといったハラスメントではなく、ちょっとした目配せでさえ暴力と感じる人がいる。そして、そういう人にとっては、会社に行かない方が効率が上がるケースが多い。多くの人が通勤電車の苦痛からも解放されるわけですし、この機会にテレワークで働くという選択肢が増えると良いと思います。ただ、そこにも同調圧力が生まれる可能性はあり、実際に出社している社員にとってテレワーク社員が不公平に映る部分もあるでしょう。

ーーデスクワークの職種の友人に話を聞くと、出社は週2~3回で、あとはテレワークを推奨するというハイブリッド型の導入が多いようです。

斎藤:その辺が落とし所かなと思います。今回、私がテレワークに関して特に興味を抱いているのは、なぜ人は直接会う必要があるのかが明らかになりつつあるところです。発達障害ではない人にとってもテレワークは楽だし、日々の通勤がなくなり時間を有効に使えるわけだし、多くの人がある程度は継続したいと考えている。しかし、人に会わないとやる気が出ないとか、直接に会って会議をしないと話がまとまらないとか、効率の面から考えるだけでは気付かなかった弊害も確実に出てきていて、だからこそ週2~3回は出社をしようという風潮になっているのでしょう。

 なぜ人は直接会おうとするのか。それは先ほどの発達障害の話と同じく、人が直接会うことは暴力であるからだと考えます。暴力は話を早くするところがあるので、平気な人にとっては効率的だし、その刺激は意欲にもなる。私があえて「暴力」という露悪的な言い方をするのは、多数派の人々にとって直接会うことには大きなメリットがあるのですが、それに耐えられない人もいることを想像してほしいからです。直接会って話をすることが万人向けではないのであれば、先ほど仰ったハイブリッド型のテレワーク導入のように、負担を軽減しながらいろんな人が自分のペースで働ける状況を目指していくのが望ましいと思っています。

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