葛西純自伝連載『狂猿』第10回 橋本真也の”付き人時代”とZERO1退団を決意させた伊東竜二の言葉

葛西純自伝連載『狂猿』第10回

何でもやるサラリーマン・レスラー

 それからZERO-ONEマットでは俺っちのコミカルなキャラクターを強調したような試合が増えていった。それはそれで楽しかったんだけど、巡業を重ねていくと、だんだん「最初に聞いていたことと話が違うな」と思うことが増えてきた。橋本さんの付き人の件もそうだし、外人軍団に所属して、旗振ってスポークスマン的なポジションでやるっていうプランもいつのまにか立ち消えになった。気づいたら第一試合あたりで、コミカルマッチをするポジションになっていた。大日本プロレスで、トップを張ってデスマッチをやってたころの充実感が懐かしく思えてきて、「なんか俺のやりたいことじゃないな」というモヤモヤした気持ちを感じるようになっていた。


 そんなころ、橋本さんが主演する『あゝ一軒家プロレス』という映画の撮影が始まった。俺っちは付き人として、現場の橋本さんに付いてなくちゃいけない。それになぜか俺っちも映画に出演することになって、軽井沢のロケ現場に1週間ぐらい籠もって撮影することもあった。実はこの時期に、俺っちに待望の長男が生まれていた。子供は本当に可愛くて、できるだけ一緒にいたかったんだけど、試合が無い日もずっと映画の撮影があったりして、子供にも満足に会えない状態が続いていた。リングの内外で、いろいろ言いたいことはあったけど、当時の俺っちは完全にサラリーマンだった。ちゃんとお給料もらえるなら何でもやりますよ的なスタンスで、会社から「ハッスルに出てください」と言われれば「喜んで」という感じで、与えられた仕事をこなすような日々だった。

 そうこうしてるうちに、ZERO-ONEもだんだん雲行きが怪しくなってきた。俺っちからはどんな事情だったのかよくわからないけど、橋本さんとフロント陣が対立して、結果的に橋本さんが辞めることになって、団体も新たに「ZERO1-MAX」という名前になった。選手たちは心機一転頑張ろうって気持ちではあったんだけど、橋本さんが抜けた穴は大きくて、魅力的なカードが組めなくなって、お客さんも目に見えて減っていった。そうなると、会社の雰囲気も悪くなってくるし、ギスギスしてくる。この流れは体験したことあるなと思ったら、大日本でCZWが抜けた後の感じに似ていた。それで案の定というか、経営が厳しくなり始めた。

「ZERO1の葛西純、このベルトに挑戦してこい!」

 そのころ、たまたま家でサムライ(『FIGHTING TV サムライ』)を見ていたら、大日本プロレスが横浜文体(横浜文化体育館)で開催した旗揚げ10周年記念大会の中継をやっていた。メインイベントでは、あのガリガリで細かった伊東竜二が、いつのまにかデスマッチのベルトを持っていて、BADBOY非道を相手に防衛戦をやっていた。「伊東がデスマッチのチャンピオンか……。それに引き換え俺は何をやっているんだろう」なんて思いながら眺めてたら、伊東が試合後のコメントで「このベルトに挑戦してくるやつ、この団体にいねぇのか? いねぇんだったら俺から次の挑戦者を指名するよ。ZERO1の葛西純、このベルトに挑戦してこい!」みたいなことを言った。伊東の口から俺っちの名前なんて出てくると思わなかったから、本当に「え?」ってなったんだけど、次の瞬間に「葛西純は伊東竜二とデスマッチをやらなきゃいけない」と確信した。

 その翌日ぐらいには、大谷さんに電話して「やりたいことができたので辞めさせてください」とお願いして、ZERO1を退団することになった。ZERO1側も、「葛西選手がプロレスラーとして他にやりたい事があるのであれば」とオレっちの意見を汲み取ってくれ、引き留められることもなかった。ただ、みんなで足並みそろえて頑張っていこうという時に、抜ける人間が出てくるというのはどうなんだ? という空気は感じた。でも、そうも言っていられない。俺っちの人生だし、葛西純にはやらなきゃいけないことがある。
 辞めたはいいけど、立場としてはフリー。伊東とデスマッチをやるどころか、俺っちがあがれるリングがあるのかどうかもわからなかった。退団の会見をして帰ってきてから、すぐ金村さん(金村キンタロー)に電話をした。金村さんはZERO1にも出ていて一緒になることも多かったんだけど、以前から「ZERO1は葛西のいるところじゃないよ」と言ってくれていた。それで金村さんに「退団しました」と言ったら、「おう、分かった。じゃあ俺から登坂に電話しておく」と。こっちから「大日本に上がりたいんですけど」なんてひとことも言ってないのに、金村さんは俺っちの気持ちを見透かすように「登坂に次のホールに葛西を入れるように言っておくわ」と、すべてを決めてくれた。

 俺っちは大日本プロレスを辞めるときに相当揉めてるから、またそのリングに上がることに対して躊躇が無かったと言えばウソになる。でも、時計の針はどんどん進んだ。俺っちは、ZERO1の退団発表をした1週間後に、大日本プロレスの後楽園ホール大会のメインイベントにあがることになった。


■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。twitter
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