『SLAM DUNK』の絵にはすべて”理由”が描かれているーー桜木花道が圧倒的に読者の共感を呼んだワケ
国内累計発行部数1億2千万部以上を誇り、連載終了から24年が経ついまでも新世代のファンを取り込み、今も読み継がれ、語り継がれ、愛され続けている『SLAM DUNK(スラムダンク)』。もはやスポーツ漫画の金字塔というよりも国民的漫画と呼んで差し支えないこの作品の新たなイラスト集が発売された。『PLUS/SLAM DUNK ILLUSTRATIONS 2』には’97年に発売されたイラスト集以降に描かれた130点超のイラストが収録されているが、今回このイラスト集が発売されるにあたり、改めて”絵”という観点から『SLAM DUNK』を掘り下げていきたい。
経験者だからこそ解る”理由”
『SLAM DUNK』がなぜここまでの作品となり得たか。そこにはそれこそいままで散々語り尽くされた数多くの要因があることは間違いないが、その中でもやはり絵の説得力が占める割合は大きいと思う。私が連載当初から思っていたことは、”理由”を描くのが非常に上手い作者だということだ。
筆者もいまなおさまざまなスポーツを実際にプレーしていて常に思うことだが、上手い選手の上手なプレーにはそれ相応の理由があり、そのプレーを表現、実現するための体の使い方、動かし方、身のこなしがあるということだ。たとえばサッカーでボールを蹴るという行為、上手い選手は足だけじゃなくそれこそ全身をくまなく使い、連動して、その力を適切にボールに伝えていく。その個人の持つ資質、体格や骨格、関節の可動域でそのフォームは微妙に変わっていくが、ベースとなる部分、いかに全身を使って力を伝えるかというところは変わらない。つまり綺麗なフォームというのは全身が無駄なく効果的に使えている状態であり、上手い選手はすべからく綺麗なフォームを持っているものだ。
では単に一流選手の綺麗なフォームの写真を参考にして描けばいいのかといえばそうではない。そのフォームに込められた全身の筋肉、関節、靭帯の動き、この瞬間、どこの筋肉が緊張していて、どこの筋肉が弛緩している、この靭帯ににどれくらいのテンションがかかっている。そのメカニズムを理解していないと、その絵に説得力やリアリズムは生まれない。
たとえば『あぶさん』や『ドカベン』などで知られる水島新司の描くキャラクターは、非常に漫画的なタッチではあるが、そのフォームには説得力とリアリティがある。水島自身が打ち取られる予定で描いていたのにあまりに綺麗なスイングが描けたから、ストーリーを変えてホームランにしてしまったことがあるというエピソードを話しているが、水島自身が草野球とはいえ長く野球をやっているからこそ、正しいフォーム、綺麗なフォームというのを理解しているというなによりの証拠であろう。
井上雄彦も自身がバスケ経験者で、バスケというスポーツに並々ならぬ愛情を持っていたので、プレーのメカニズムと綺麗なフォームというものを体験的に理解できていたからこそ、上手いプレーを絵にするときにその”理由”となるポイントを描けた。そこにリアリティと説得力が生まれたのだ。井上自身の画力が上がってくると、プレーのフィニッシュの部分の絵だけでなく、そのプレーに入るコンマ何秒前、プレーに入る、静から動にスイッチが入る瞬間、どこを切り取っても”理由”をきちんと絵に盛り込めるようになった。
物語のクライマックス、山王編のラスト数回は、もはやセリフが一切なく、選手たちの動きだけで話が進んでいく。1コマ1コマ描かれる選手の動き全てに理由があり、説得力がある。スピード感、思考、心理状態、緊迫感と興奮。描かれる選手の説得力ですべてを説明でき、もはやそこにセリフすらいらないという、あの漫画誌に残るであろう数十ページに秘められた圧倒的な説得力は、その一つ一つの絵の中に込められた無数の”理由”がそうさせているのである。