柳樂光隆×細田成嗣『Jazz the New Chapter』対談 「誰がいつ出会っても価値のあるテキストにしたい」

柳樂光隆×細田成嗣『Jazz the New Chapter』対談

なぜ今、アンソニー・ブラクストンを取り上げたのか

細田:アンソニー・ブラクストンを取り上げるというのもそういうことだと思うんです。実は今回ブラクストンの記事を書くにあたって、それぞれのミュージシャンに取材する際に、単にブラクストンをどう思っているのか訊いたのではなくて、まずはじめにJTNCのコンセプトを説明しました。具体的には「ブラクストンのイメージを脱神秘化し、正当な評価を与えること」「ブラクストンの教育者としての側面にフォーカスすること」「あくまでも現在のミュージシャンに起点を置くこと」を伝えました。

柳樂:ブラクストンは今のミュージシャンから遡ったら出てくる人だし、最近よく名前を見かけるよね。それで、みんな褒めてるけど、どこを褒めてるのかよくわからないというのがあった。作品としては面白いし、コンセプトもありそうだから、単純にそれを知りたかったよね。そうすれば、そこから出てきた人たちの意味もわかる。むしろブラクストンのことがわからないと、今起きてることがわからないと思った。僕ね、すごいものは感じればわかるみたいなのがあまり好きじゃなくて。

細田:なるほど。

柳樂:フリー・ジャズは聴けばわかるってよく言うじゃないですか。それはそうなんだけど、テキストで言及するのであれば楽しみ方を説明したいんだよね。でも前衛的なものほどそういうテキストって少なくて。そういうことをやりたくてJTNCをやってる節はありますね。グラスパーだったらリズムのヒップホップっぽさにフォーカスしてみましょうとか、フライング・ロータスだったら生演奏の即興部分にフォーカスしてみましょう、カマシ・ワシントンの『Harmony of Difference』だったら対位法を用いた曲の作り方や構造にフォーカスしてみましょうみたいな。音楽自体のひとつの聴き方や楽しみ方を提示することをやりたい。フリー・ジャズ、まあブラクストンは一概にフリー・ジャズとも現代音楽とも言えないんだけど、世間では難解だと思われてる音楽に対しても、それができるならやりたいと思っているんですよ。で、ブラクストンに関してはそれがいける気がした。たぶんペーター・ブロッツマンだと難しいじゃん?

細田:たしかに(笑)。まあ、たとえばバリトン・サックス奏者の吉田隆一さんあたりに、奏法分析という視点から聴き方を提示していただくことはできるかもしれませんが。

柳樂:それはありかもね。

細田:わからないと思われている音楽に関して、「聴けばわかる」とか「わからないからいい」で片づけてしまうと、権威主義的になる危険性がありますよね。フリー・ジャズの評論でたまに見かけるのが、「凄いミュージシャンが出演しているから凄いライブである」という同語反復的な称賛の仕方で、それって部外者にしてみればなぜ凄いのかわからない。その結果としてわかる人だけが集まる小さなサークルで楽しむものになっていく。

柳樂:聴きどころを提示できないとジャンル自体が痩せ細っていくよね。もちろん説明しようがない音楽もあるけど、ブラクストンは理論的な背景をテキストで説明して聴きどころを提示できそうな音楽だと思ったんですよ。

細田:たとえばブラクストンがサックスの演奏方法を12種類に分けて、それらを組み合わせて即興するということを知ってから聴くと、「あ、今3番目の奏法をやってるな」ということはわかるわけですよね。とはいえ、結局はわからないところもたくさんある(笑)。

柳樂:もちろん音楽って最終的には言語化するのが非常に難しいものではあるよね。ただ、たとえばJTNCの5号ではサックスの特集をやったんだけど、サックス奏者って何が凄いのか意外とわからないじゃない? 五線譜を使えばもちろんコルトレーンとロリンズの違いについて説明できるだろうけど、演者目線の専門的な用語を極力使わずに、聴き手の目線を大事にしながら、そういった違いを言語化しようとしたんですよね。それと同じようなことを、抽象的に聴こえるような音楽の構造についてやってもらったのが、今回、細田くんが書いたブラクストンの記事だったんじゃないかな。

細田:今回はブラクストンがどんな手法を用いていてどんな目的があって何を教えているのかといったことはわかったので、ある程度までは読者を連れていける記事になったとは思うんですが、やっぱり謎は残る。でも謎が残ることは必要だと思うんです。JTNCってプレイヤーとリスナーのあいだを読者層に想定した本じゃないですか。けれども多くの場合プレイヤーとリスナーではテキストを読む目的が異なりますよね。そう考えると、プレイヤーにとって有用なプラグマティックな目的に添いつつ、最後の最後に謎を残すことで、リスナーにとっても読み物として楽しめるような余白が生まれる。つまり最終的に謎を残すことが、プレイヤーとリスナーの中間をいく音楽評論のあり方として重要なんじゃないかと思うんです。

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