柳樂光隆×細田成嗣『Jazz the New Chapter』対談 「誰がいつ出会っても価値のあるテキストにしたい」

柳樂光隆×細田成嗣『Jazz the New Chapter』対談

JTNCのシリーズに通底するコンセプト

柳樂:記事の作り方とか書き方とか、取材の仕方もそうなんだけど、JTNCに限らずいつも必ず視点の設定をしているんですよ。音楽ライターって基本的には新譜が出たら仕事がくるわけじゃない? でも書く理由がそれだけだと、新譜が旧譜になった時点で記事の価値がなくなってしまう。

細田:ま、紹介して消費されて終わっちゃいますよね。

柳樂:そう。これは僕がインターネット以降のライターだからかもしれないけど、自分が書いた記事の多くはウェブ上にずっと残っていて、ググればいつでも読めるものだという感覚があるんですよね。だから誰がいつ出会っても価値のあるテキストにしたいと思っていて。そのためにミュージシャンの音楽性の核だったり歴史に紐づいたことだったり、新譜の話以外の視点を必ず入れるようにしている。そうすればいつ参照しても読むに足るものになるよね。国会図書館に所蔵されてこの先、誰かに参照される際も意味があるものにできると思うし。

細田:それはJTNCのシリーズに通底するコンセプトでもあるのではないでしょうか。たとえば今のミュージシャンに歴史と紐づいた話を訊いていくと、これまでの定説では見過ごされていた人物の重要性が見えてきたりしますよね。ジャズの言説であれば、いわゆるスイングジャーナル的な歴史観とは別の系譜が見えてくるわけですよ。歴史というのはつねに書き換えられる可能性がありますからね。

柳樂:実際に書き換えられた歴史っていくらでもあると思うよ。JTNCをはじめてからも一般リスナーのレベルでジャズ史に対する認識が変わってきたと思う。

細田:新たな価値観を設定してこれまでのジャズ史を切り取っていくというのは、クラブ・カルチャーにおけるレアグルーヴ的な手法でもあると思うんです。クラブ・カルチャーだとその視点が「踊れるか否か」になるわけですが、JTNCでは価値観や評価軸自体を新しく生み出していくところがある。

柳樂:それはレアグルーヴやヒップホップ、クラブ・ジャズと、その評論みたいなものを反面教師にして身につけた考え方だと思う。たとえばヒップホップのプロデューサーがロイ・エアーズをサンプリングするじゃないですか。それは過去の歴史との接点にはなるけれど、非常に即物的な魅力を書くことはできても、サンプリングされた事実以外の意味をあまり見出せなかったんですよね。それよりも音楽的なスタイルや演奏法、もしくは理論とか、そういう別の歴史となんらかの意味を持たせて接続したいと思った。それはヒップホップやクラブ・カルチャーから出てきたディスクガイドに感じていた物足りなさを埋めようと思ったからなんだよね。

細田:物足りなさを埋めるためにまったく別のやり方を採用するのではなくて、クラブ・カルチャーで用いられていたレアグルーヴ的な手法を援用しながら、「踊れるか否か」ではなく別の価値観を持ってくるところが面白いなと感じました。

柳樂:でもそれって音楽評論の基本中の基本とも言えるよね。JTNCはそうした基礎的なことを丁寧にやっているだけなのかもしれない。素朴な疑問をちゃんと解決することを続けてるというか。たとえばギル・エヴァンスとマイルス・デイヴィスを取り上げたら、必然的にクラシックとかラージ・アンサンブルがテーマとして出てくるじゃないですか。じゃあジャズとクラシックってどのくらい関係あるだろうって疑問が出てきたときに、定説を振り返ってもサード・ストリームの議論ぐらいしか出てこない。そうじゃなくて、実際に今のジャズ・ミュージシャンにクラシックとの関係について訊いて考える。そうすると定説にはない系譜が見えてきたり、歴史を遡るための新しい価値観が見えてきたりする。

『Jazz the New Chapter 1』(シンコー・ミュージックMOOK)

細田:物事を丁寧に見て素朴な疑問を解決していくという意味では、たしかに基本的なことではありますね。とはいえJTNCには画期的だと思うコンセプトもあります。たとえば「ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平」と言いつつ、何か新しいジャンルを打ち出しているわけではない。むしろ1号からメアリー・ハルヴァーソンとか出てくるわけですよね。一般的には音楽評論家ってとにかく名づけたがるものだと思うんですけど、柳樂さん自身には名づけたい欲望みたいなものはなかったんですか?

柳樂:なかったかなあ。そもそもロバート・グラスパーの『Black Radio』だって、ジャズとネオソウルとR&B、ヒップホップのイメージがあるけど、ニルヴァーナからデヴィッド・ボウイやシャーデーまでカヴァーしてる。だからグラスパーでさえ正直なんだかよくわからない音楽なんだよね。ホセ・ジェイムズもエスペランサもそう。だから画期的というよりも、普通に丁寧にやると分類ができなくなっていくということだと思う。

細田:当初からジャンルとして名づけられないほど現代ジャズの地平が広がっていたと。

柳樂:そうですね。1号からすでにワールド・ミュージックを取り上げていて、吉本秀純さんに担当してもらったんだけど、ゲタチュウ・メクリヤとか志人とかスガダイローとか入ってるし、とてもジャンルとしてくくりきれないんじゃないかな。

細田:たしかに。センヤワも入ってましたしね。とはいえ、カテゴライズ不能でありつつも、何でもありというわけでもなくて、明確なコンセプトに沿って扱う対象を決めています。もし新しいジャンルということでまとめて紹介していたり、新しいミュージシャンを単に新しいというだけの理由で紹介してきたら、6号まで続けることはできなかったと思うんですよね。逆に言うと、紙の本としてまとめるためのさまざまな建てつけ――たとえば「アメリカ音楽とは何か」であったり、「クラシックとジャズの関係」、それに「音楽教育の重要性」や「現在進行形のミュージシャンを起点にすること」など――を設定することで、「ヒップホップを通過したジャズ」みたいなテーマだけでは掬いきれないようなミュージシャンを取り上げて、同時代的なコンテクストを提示することができる。

柳樂:ディアスポラからジョン・ゾーンを取り上げる話が出てくるのはまさにそうだよね。

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