葛西純自伝『狂猿』第7回 「クレイジーモンキー」の誕生と母の涙

葛西純自伝『狂猿』第7回  母が泣いた日

デスマッチファイター葛西純自伝『狂猿』

傷だらけの体を見て泣いた母

 翌日には飛行機に乗って、日本まで16時間のフライト。まだ背中が痛いから、シートにもたれられなくてずっと前傾姿勢のまま16時間過ごした。地獄のフライトだった。満身創痍だけど、とりあえずは無事に日本に帰ってこれた。いちおう報告しておくか、と、大日本の道場に帰国の挨拶に行ったら「じゃあ、明日はバトラーツの札幌大会に選手を派遣することになってるから、札幌行って試合してきて」と言われた。背中一面傷だらけで血が滲んでるのに、言われたとおりに翌日には飛行機で札幌行って、バトラーツの大会に出て、臼田勝美さんと試合をした。

 それで帰れるかと思いきや、「こんど帯広で大日本の興行やるから、ついでにその営業してきて」って言われて、そのまま帯広に飛んで、営業まわり。アメリカでの試合も大変だったけど、日本に帰ってきてバトラーツの試合出て、その後に帯広で1週間営業やった方がキツかったね。


 幸か不幸か、営業先が帯広だったから、久々に実家に帰ることができた。それで当然、風呂に入るんだけど、そのとき母ちゃんが俺っちの傷だらけのカラダを見て、「あんた、なにやってんの!」って泣きだした。「東京にプロレスをしに行ったんじゃないの?」って泣きながら怒られて、「いや、これがプロレスやってきた証だよ」って言ったんだけど、「そんなのプロレスじゃないでしょ!」ってね。

 ウチの家族は、俺っちが新人時代の試合しかみてなかったから、デスマッチファイターとしての俺がどんなことしてるのかは知らなかったんだ。親に泣かれてしまったけど、それでデスマッチを辞めようとはこれっぽっちも思わなかった。俺っちはまだ何もできてない、もっとやってやるとしか考えてなかった。

■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。twitter
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