ミツメ 川辺素が語る、テッド・チャン『息吹』の深遠なる魅力 「感性が拡張していく体験はなかなかできることじゃない」

ミツメ 川辺素が語る『息吹』の魅力

まだ言葉になっていない感覚がある

――表題作と「商人と錬金術師の門」の他、気になるタイトルはありましたか。

川辺:「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」は考えさせられました。テッド・チャンの作品としてはやや長めでの中編の物語ですが、彼の真骨頂というか、新しい技術の発達で生じる新たな倫理的問題やそれに応じた仕組みや法制度などが描かれていて、未来予測を小説ならではの面白さとして表現していると思います。ちょっと後味が悪いとこも含めて、凄みを感じました。

 「偽りのない事実、偽りのない気持ち」は、Netflixの『ブラック・ミラー』を連想しました。『ブラック・ミラー』では目にカメラが仕込まれていて、恋人が見ているものが全部映像で見れてしまうんですが、記録というものは絶対的に良いものじゃないんだという点が面白いですね。そういうハイテクな未来の話と、ティヴ族の青年が紙に文字を記録することを覚える話を交互に描く構成が絶妙だなと思いました。

――「偽りのない事実、偽りのない気持ち」は人間の行動の全てが記録されて、全く誤解のできない世界を描いていますが、ああいう未来をどう思いますか。

川辺:全てが記録されているので、あとはそれをどう解釈するかということが問われるわけですよね。それでも、記録されていても、いなくても、結局は皆が望む解釈に落ち着いていくというのが、2つの異なる時代を交互に描くことで説得力をもって描かれていて、それは本当になんとも言えない感覚になりました。

――「なんとも言えない」という感覚は結構重要なのかもしれません。ミツメの音楽にもその感覚があるような気がします。

川辺:「なんとも言えない」というより、まだ言葉になっていない感覚を音楽で捕まえたいと思っていて、それが創作の大きな動機にもなっているんです。すでに言葉になっている感情は伝えることができますけど、楽曲をアレンジしていくことで「ああ、この気持ちなんと言うかわからないけど、あるな」という感覚を伝えられるといいなといつも思っています。音楽はそういう感覚を媒介するものであってほしいんです。テッド・チャンの小説にはそういう面があるかもしれないですね。

――確かに、テッド・チャンの小説は我々がいまだ直面したことのない現実を描いているので、そこには我々が知らない感情があるかもしれません。川辺さんの書く歌詞でもそういう感覚を覚えるものもありますね。「エックス」なんかはすごくSF的な歌詞ですし。

川辺:ありがとうございます。僕らも過去に味わったことのない感覚、言葉にならない気持ちを思い出してくれるといいなと思って曲を書いているつもりです。「見たことはないけど、あるかもしれない」ものの存在って僕の中では大事で、あるかもしれないこと自体が大事と言いますか、それで探してみようではなくて、「エックス」はそういう「あるかもしれない」ものが存在する状態そのものを表現したかったんです。

――まだ世の中には知覚されていないけど、存在するものがあるかもしれない、それ自体がすごいことなんだということですか。

川辺:それもあります。あと、自分が知っている範囲の中だけで物事を判断するって実は怖いことじゃないですか。今の時代は自分が見たいものだけで世界を構築できてしまうので、自分もついそうなってしまいがちなのですが、そこからはみ出た考えに触れたいという気持ちが「エックス」には表れています。

『息吹』は新しいインスピレーションをくれた

――川辺さんは歌詞を書く時に小説のような物語を想定することはあるのですか。

川辺:僕は狙って形に落とし込むのはあまり得意じゃないので、想定しないです。小説を読んでもそこから着想を得て落とし込むという書き方はしていません。過去読んだものが自分の中で熟成されて自然に表出されていることはあると思います。

――なるほど。そういう意味で『息吹』は新しいインスピレーションになりそうですか。

川辺:なると思います。自分になかった視点を得て、感性が拡張していく体験はなかなかできることじゃありませんから。そんな体験を与えてくれるテッド・チャンのような作家は本当に尊敬します。

――川辺さんの次回作で、その熟成された感性が味わえるのを楽しみにしています。

川辺:そうですね。そういうのを目指していきたいと思います。

■川辺素
4人組バンド、ミツメのボーカルギター。東京を拠点に活動中。ミツメはアルバム『Ghosts』ソロではカセットテープをレコードにした『LP2』が最新作。

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