『鬼滅の刃』はなぜ、兄弟姉妹ネタが多いのか? テーマ、作劇的都合、社会的背景から推察

『鬼滅の刃』はなぜ、兄弟姉妹ネタが多いのか? テーマ、作劇的都合、社会的背景から推察

※記事の性質上ある程度ネタバレが避けられないため、原作を未読の方はご注意ください

 『鬼滅の刃』では兄弟姉妹関係がやたらと描かれる。まず主人公・竈門炭治郎と妹の禰豆子。水柱・冨岡義勇と姉・蔦子。蟲柱・胡蝶しのぶと姉カナエ(と栗花落カナヲ)。炎柱・煉獄杏寿郎と弟・千寿郎。風柱・不死川実弥と弟の玄弥。霞柱・時透無一郎と双子の兄・有一郎。

 はじめは「また兄弟姉妹で話つくるの? 作者の性癖か手癖???」と思った。作者が『鬼滅』連載以前に描いた読み切りも、「文殊史郎兄弟」(『吾峠呼世晴短編集』収録)という兄弟(一家)ものだった。

 舞台が大正時代だから一人っ子でなく兄弟姉妹がいること自体は不自然ではない。ただどういうわけか兄弟姉妹の数が「ふたり」であることが多い。現実の大正時代に即すなら、多人数の兄弟姉妹の方が自然だ。だからおそらく作者の意図がある。

 「兄弟姉妹がいることが設定上、重要な部分に関わってくるのか?」と思ったが、2020年1月現在のところは、その気配はない。ではなぜこんなに多用されるのだろうか? 作品内在的な理屈に関しては公式の展開を待ちたいので、それ以外の観点から、いくつか理由を推測してみたい。

1.テーマ的な理由――「継承」を描くため

 炭治郎たち鬼殺隊が戦う鬼は、余程のことがなければ死なない。鬼の親玉である鬼舞辻無惨は、永遠の不死=不変を望んでいる。そして鬼と対比されるように、人間は簡単に死ぬ。人は死ぬが、その想いは継承されていく。

 そもそも鬼舞辻無惨は千年前に、産屋敷一族から生まれ、産屋敷家は代々、鬼殺隊の当主を務めて鬼舞辻打倒を悲願としている。鬼殺隊の幹部である「柱」には特別な師弟関係であり擬似家族的な「継子」制度があり――余談ながらこれはすでに指摘があるとおり、往年の『マリみて』(『マリア様がみている』)のスール制度が一番近いものだと思うのだが――一子相伝的なかたちで代替わりを繰り返している。炭治郎は亡き父から「神楽と耳飾りは途切れず必ず継承させてくれ」と頼まれている。鬼殺隊には「継子」以外にも「育手」制度があり、師弟関係が必ず生まれる。

 このように、簡単に死ぬ人間が、簡単には死なない鬼と戦うために、技・知識・想いを次の世代に継承していく。

 『鬼滅の刃』は、資質も性格も異なる人間がいかにして先行世代の喪失を乗り越えて「継承」していくかがテーマの作品である。だから親子・兄弟姉妹・継子・師弟など、使える関係性はすべて使い倒して表現している。つまり兄弟姉妹関係は継承関係のひとつにすぎない。……と単純に考えるには、『鬼滅』は「家族」関係へのフォーカスが過剰だ。

 アニメ版で話数を費やして描かれた蜘蛛の鬼・累が「家族の絆」を求めることに執着していたのが典型だが、鬼も鬼殺隊も死ぬときはほとんどの場合、家族のことを回想して死ぬ。

2.作劇的な都合――親子や継子の代替わりは乱発しにくい問題

 『鬼滅』では家族・一族同士で殺し合っているのは産屋敷と鬼舞辻くらいのものだ。あとは憎まれ口を叩いたり、一見関係が険悪だったりしても、本当は心を通いあわせている家族ばかりが登場する(累を除けば)。家族のことを恨んだまま絶命するキャラはほぼ見当たらない。吾峠呼世晴が『鬼滅』で家族の絆、情を重んじて描きたいのだろうことは明白だ。

 とすると、「継承関係のひとつとして、血のつながりに加えて継子・育手制度がある」のではなくて、「継子・育手制度は家族関係の一種(疑似家族)」として描かれていると見るべきだ。

 たとえばしのぶ・カナエ姉妹とカナヲは血のつながりはないが見た目は似ており、157話でカナヲは「胡蝶カナエと胡蝶しのぶの妹だ」と語る。炭治郎の育手・鱗滝左近次は妹以外の家族を失った炭治郎にとっては父的存在だし、我妻善逸は育手(師匠)である桑島慈悟郎を「じいちゃん」と呼ぶ。

 鬼殺隊側は家族間で想いを継承し、鬼側は記憶を失った鬼たちが最期に家族からの/家族への想いを取り戻して死ぬ。『鬼滅』は人間集団の基本単位が「家族」なのだ。

 ただ家族間の「継承」といっても、現時点では『鬼滅』は、『ジョジョの奇妙な冒険』のように主人公も舞台もチェンジしていく、あるいは『ドラゴンボール』や『NARUTO』&『BORUTO』のように親子で主人公たちが代替わりをすることは描いていない。炭治郎や善逸たちがこの先、誰かに托して子ども世代に代替わりする可能性がないとは言えないが(作品テーマ的にはありうる)、彼らに子どもが生まれる気配は今のところない。

 そもそも炭治郎が父から受け継いでいる神楽や耳飾りがなんなのかという話にカタがつかないと、炭治郎が子どもにそれを継承することは描きようがない。(逆に言うと、産屋敷一族は何をしてきたのかが判明したので、お館様から子ども世代に交替できた)

 親子間の継承は、こうした段取り的な問題に加えて、「作中時間を一気に十数年進めたらみんなの風貌が変わっちゃう&時代が昭和に突入しちゃうけど大丈夫か問題」がある以上、安易に乱発はできない。

 だから、今のところは最初に出てきた柱たちから次の世代に代替わりする、あるいは兄弟姉妹間で何かを継承する、托す/託される、くらいしか描きようがない。「継承」テーマを描くにあたっては、親子ほど年が離れていない兄弟姉妹間や擬似兄弟姉妹である継子関係での継承のほうが、作劇的な都合上、便利である。

 こうして兄弟姉妹ネタが渋滞を起こすことになった――若干意地の悪い見方をすると、こう考えられる。

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