大森望が語る、『三体』世界的ヒットの背景と中国SFの発展 「中国では『三体』が歴史を動かした」
「中国ではまだ発展が続いていて、それが中国SFを支えている」
――劉慈欣は1963年生まれ、大森さんは1961年生まれで同世代です。
大森:だから、SF方面で著者が何を読んできたか、どういうものが書きたいかはよくわかります。でも、幼少期のエピソードとか読むと、劉慈欣は、同世代の日本人には信じられないような体験もしてきている。僕らの世代の日本人に強烈な原体験はなくて、せいぜい1970年の大阪万博くらい。一方、中国では、幼少期の文革から始まって体制の変化で生活がふり回される体験をしています。
『三体』には、環境問題を訴えたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』が出てきますが、日本でも1970年代には公害が大きな問題になり、思えば万博の頃が明るい未来のビジョンのピークでした。そこからはノストラダムスの大予言ブームとか『日本沈没』の終末論になり、科学に対する夢や信頼が急速に失われていく。でも、中国では、文革のあいだ科学技術が抑圧されていたから、文革が終わったあと、科学に対する夢が一気に花開いたようなところがあった。その意味では、中国ではまだ発展が続いていて、それが中国SFを支えていると言えるかもしれない。三部作完結編の『死神永生』でも、科学の未来が開く夢のようなビジョンが描かれるくだりがあります。たぶん、日本SFにはあれは書けないんじゃないか。
――劉慈欣は中国では様々な役職について一流の文化人になっていますね。大阪万博のプロジェクトに携わった小松左京みたいなイメージですか。
大森:それ以上みたいですね。超VIP待遇らしい。ただ、作家のタイプとしては小松さんに近い。1973年に出た小松左京の『日本沈没』は400万部近い超ベストセラーになりましたが、『三体』はそれに近い。SF専門誌に連載された本格SFという意味では、小松さんが「SFマガジン」に連載した『果しなき流れの果に』とも重なります。『日本沈没』はダイジェストされて英訳されてますが、それがアメリカでベストセラーになったり賞を獲ったりしていれば、日本SFの歴史も大きく変わっていたかもしれない。中国では、まさに『三体』が歴史を動かしたわけです。
――中国から日本へのSF翻訳は今後増えますか。
大森:増えるでしょう。『折りたたみ北京』以前だと、20年以上前に、『中国科学幻想小説事始』という中国SFアンソロジーが出てるんですが、掲載作家はほぼ戦前生まれで、若くても1940年代生まれでした。それを読むとやはり、古いアメリカSFのエピゴーネンというイメージが強かったんです。それと比べると、『折りたたみ北京』は、収録作家が一気に40年くらい若返った。80年代生まれの作家が多くて女性作家も多い。この本で中国SFのイメージが更新されて、興味を持ったSFファンが多い。劉慈欣に限らず中国の作家を読みたがっていますね。現状だと白水社が『折りたたみ北京』の表題作を書いた作家の『郝景芳短篇集』のほか、台湾の伊格言『グラウンド・ゼロ 台湾第四原発事故』という原発ものの近未来サスペンスを出しています。『三体』の早川書房としても、この流れで中国の本格SFをもっと出したい、と。ネックは、出せる玉も、訳せる人も少ないことですね。長期的には、中国SFの翻訳は、日本でもマーケットとして定着すると思います。さしあたっては、来年1月くらいに出るスタンリー・チェンの『荒潮』に注目ですね。
――『三体』の第二部『黒暗森林』の翻訳はいつぐらいになりそうですか。
大森:中国語からの翻訳に関しては、前作とは別のチームが担当していて、いまはその完成を待っている状態です。来年の夏までには出したいというのが版元の希望ですが、まだはっきりしたスケジュールは出ていません。僕のほうは今、そのあいだに、テッド・チャンの第二短編集を訳しています。テッド・チャンに関しては、中国SFの影響とか一切ないんですが、こうなってしまうと、書店やメディアでは、『三体』と同じ中国系SFの話題作っていう括りになりそうですね。
――英語で書いている日系イギリス人のカズオ・イシグロを長崎出身だからと日本人作家扱いした以上の倒錯した状況ですね。
大森:でも、たぶん、中国SFの読者層を広げるにはそのほうがいい。テッド・チャンがいて、ケン・リュウがいて、そこに劉慈欣が登場したっていうほうが盛り上がる。いや、今は『三体』が爆発的に売れてしまったから、「『三体』を翻訳したケン・リュウですよ」とか、「その先輩格のテッド・チャンの新刊が出ます」とかいうふうに立場が逆転するかもしれないけど(笑)。
ケン・リュウは、中国やアジアを意識した短編を以前から書いていました。漢字をモチーフにした短編もあるし、項羽と劉邦の楚漢戦争の話を下敷きにしたファンタジーを書くくらい、中国押しでキャラを立てている(笑)。それに対して、テッド・チャンの作風は、現代SFの最先端みたいな方向で、中国感はゼロ。今度の本は、『あなたの人生の物語』以来、約20年ぶりに出る2冊目の短編集です。たぶん『息吹』という邦題で、12月にハードカバーで出る予定です。SF読者にとっては待望ひさしい本ですが、世間的には、テッド・チャンは、もはや映画『メッセージ』の原作者というより、なんか中国SFの偉い人(笑)みたいなイメージで受けとめられるかも。
早川書房としては『三体』の二作目『黒暗森林』が出るまで、中国SFに対する世間の興味をつなぎとめたいというのがあって、10月には著者の劉慈欣が来日、12月にテッド・チャンの『息吹』、1月にケン・リュウの英訳からの翻訳で、陳楸帆(チェン チウファン/スタンリー・チェン)の『荒潮』が出る。『折りたたみ北京』の文庫化も10月ですね。来春にはケン・リュウ編の第二アンソロジー(『Broken Stars』)の邦訳が出るし、毎月のように中国SF関連(?)の本が予定されています。
――『三体』三部作は、第二部『暗黒森林』、第三部『死神永生』と続きますが、今後の読みどころは。
大森:エンタメ的には二作目の『暗黒森林』が一番面白いかも。基本は『デスノート』みたいな頭脳戦ですね。圧倒的に不利な立場にある地球文明が、いかにして生き延びるか。すべての情報が筒抜けになる状態で、どうやって対抗策を練り、それを実現するか。第一部『三体』とはタイプが全然違う話なので、お楽しみに。
(取材・文=円堂都司昭)
■書籍情報
『三体』
劉 慈欣 (著), 立原 透耶 (監修), 大森 望 (翻訳), 光吉 さくら (翻訳), ワン チャイ(翻訳)
価格:本体1900円+税
頁数:447頁
ハヤカワオンライン:https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000014259/