大森望が語る、『三体』世界的ヒットの背景と中国SFの発展 「中国では『三体』が歴史を動かした」

大森望が語る、中国SF『三体』の面白さ

「SFは道具じゃなくて目的」

――中国らしさには政治体制も含まれます。翻訳は文革のパートから始まりますが、原書では違う構成。劉慈欣は現実社会を批判するつもりはないといいますが、実際はどうでしょう。

大森:そうした問題は『指輪物語』の昔からあって、"一つの指輪"は原爆のメタファーだと言われても、著者のトールキン自身は、あれは指輪であって原爆じゃないといいつづけていた。『三体』に関しては、たぶん両面あるでしょうね。劉慈欣は子どもの頃から本当にSFが好きで、異星人の侵略の物語が書きたいから異星人の侵略の物語を書いている。SFは道具じゃなくて目的なんだというのは、SFファンにはすんなり理解されるところだと思います。実際、VRゲーム「三体」の描写や、三体世界における秘密兵器の実験場面とかは、SFマインドがあふれすぎるぐらいにあふれてて、好きで書いているとしか思えない(笑)。

 ただ、いま『三体』を読めば、中国とアメリカの関係を書いているようにも見えるし、三体世界に託して体制を批判しているようにも見える。ただ、もしそういう意図があったとしても、「はいそうです」と認めてもいいことはひとつもない(笑)。いまの劉慈欣は国宝扱いだから、なにを書いても大丈夫かもしれませんが、中国の出版界全体では、習金平体制になってからどんどん締めつけが厳しくなっているみたいですね。『三体』のヒューゴー賞受賞がなかったとして、もし無名の作家が同じものを書いたら、今出せるかかどうかギリギリかもしれない。劉慈欣は、中国SF全体の発展も考えて、大人の対応をしているような気がします。

 政治の風向きを読むのがいかに大事かっていう話は『三体』作中にも出てきますよね。文革当時、赤い太陽は共産党の象徴だから、黒点を黒点といってはいけないとか、太陽に向けてレーダー照射するなどもってのほかだとか。その種の政治的配慮は、小説の中だけではなく、『三体』を出版するときにもあって、それが章の順番を入れ替えて、文革の場面を小説の冒頭ではなく真ん中あたりに移動させるという選択になった。

 だからといって、『三体』がSFを隠れ蓑にしてた小説じゃないことは、読めば明らかです。例えば、中国で出せないからといって日本の藤原書店から最近翻訳が出た王力雄『セレモニー』なんかは、オーウェル『一九八四年』的な監視社会をインターネット時代に再現した体制批判のディストピアSFです。『三体』はそういうタイプの小説とはまったく違いますが、それでも政治的・社会的なメッセージは読もうと思えばいくらでも読みとれる。三体世界が地球文明の発展を遅らせるために科学研究を妨害する構図は、アメリカが5G戦争で負けないようにファーウェイを締め出そうとするのと重なって見える。あるいは、日本と韓国の関係を書いた小説のようにも読めるかもしれない。物語を文革から始めて現在の中国を舞台にしている以上、そういう読み方をされるのも当然ですが、たぶんそれを書くことが目的ではない。劉慈欣は、主人公が人類に絶望する体験として選んだのが文革だったと語っています。

――「SFマガジン」8月号の『三体』特集で中国のミステリー作家・陸秋槎が、文革の経験を描いたジャンルとして「傷痕文学」があることを書いていました。

大森:『三体』にも「傷痕文学」の要素はあって、主人公・葉文潔の動機づけの核になっています。紅衛兵と再会する後半のシーンでは、彼らは延々と恨み言をいい、自分たちがいかに辛酸を舐めたかと語るばかりで、謝ろうとしない。強烈なシーンですが、SFとしてはそこまで書く必要はない。しかし、同作全体が「傷痕文学」かというと、それも違う。そういう要素がある一方で、智子(ソフォン。人工知能搭載陽子)を作るための実験のパート、それこそ戦隊もので悪の首領が地球侵略のために新兵器を作るけれどことごとく失敗するみたいな(笑)バカバカしいシーンが同じ小説の中に同居している。そこが中国SF的なおおらかさ、ふところの深さだと思いますね。

 日本やアメリカのようにSFの長い伝統があると、編集者もSFの教科書に則って、これはいくらなんでもダメ、削りましょうとなる。どんどん角をとった結果、優等生的だけど引っかかりのないものになってしまう。中国でも『三体』はエンタメに寄りすぎで、ちょっとやりすぎじゃないか、もっと真面目にやれと批判があるらしい。でも、たとえ炎上しようが面白いものを書く。

 日本でも『三体』批判はあります。今、読書メーターで3,000件くらい登録されてて、600件くらい感想が上がってる。普通は登録の1割くらいしか感想が上がらないのに『三体』は2割以上。すごい勢いで感想が書かれています。ここが変、あそこがおかしいなどというツッコミも含めて、とにかくなにかいいたい人がいっぱいいる。もちろん、いいといわれるところも多い。例えば、葉文潔が山奥の村の子どもたちに勉強を教えたら村の人たちに気に入られ、電気も通っていない家で赤ん坊を育てながらその家に住む教養のない若い母親に宇宙の話を聞かせる。作者本人の幼少期の思い出が投影されてエモーショナルで美しい場面になっています。そういう場面と、パナマ運河のめちゃくちゃな作戦行動とかが一緒になっている。そのありえなさが魅力ですね。

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