大森望が語る、『三体』世界的ヒットの背景と中国SFの発展 「中国では『三体』が歴史を動かした」

大森望が語る、中国SF『三体』の面白さ

「いま読まれるSFとして違和感がないものに」

――一方、日本語版の翻訳は特殊な体制ですね。訳は大森望、光吉さくら、ワン・チャイ、立原透耶監修となっています。英語が専門の大森さんが中国語? と思いましたが(笑)、最終的な文章の調整を担当された。大森さんは日本語版ができる前に早川書房の山口晶氏と『三体』の翻訳がどうあるべきか話したそうですね。

大森:評論家の北上次郎さんを囲む忘年会が毎年新宿であって、各社の編集者や書評家が集まるんですが、その席で早川書房の人から『三体』の翻訳権がとれたという話を聞いたんです。中国語ができる人が訳した試訳みたいな原稿はあるんだけど、ふだん小説を訳したことがない人らしくて、そのまま出すのはむずかしい、と。で、SFの翻訳の場合、SFを読んでない人が翻訳すると失敗するケースが多いんですよ。まあ、ミステリでもそうですけど、ジャンルのお約束とか、勘所をはずしてしまうことがある。だから、SFがわかる人が全面的にリライトしないとダメだって言ったんですよ。そのときは自分でやるなんてまったく考えてなかったんですが、年が明けてから電話が来て。「実は、お願いしたい仕事があるんですが。ちょっと長いんですけど……」と(笑)。

 で、とにかく日本語訳の原稿を見せてもらって、それからケン・リュウの英訳を読んで。この英訳を参照しながらリライトすれば、ヒューゴー賞受賞作の邦訳として恥ずかしくないものにできるんじゃないか、と。ケン・リュウの英訳が原文に忠実でありながら非常に明解でわかりやすかったのが大きかったですね。これを目標にして、同じぐらいのレベルの日本語訳をめざそうと。中国語ができないのに訳者としてクレジットされるのもどうかと思ったんですが、よくある「監訳」とかだと、えらい先生がちょこちょこ手を入れたとか名前だけ貸したみたいなイメージなので、そういうんじゃなくて、訳文に関しては全面的に責任を持つという意味で訳者に名を連ねました。中国語のチェックに関しては立原透耶さんに監修をお願いするというのも、当初からの座組みです。まあ、実際は、まるまる1冊、最初から訳すのと変わらないくらいの時間と労力がかかったんですけど。中国語版の原文を参照するのもたいへんだし、ネットがなかったら不可能でしたね。

――訳文で最も直したのはどんなところですか。

大森:直しはじめると結局自分の文章になってしまうので、むしろ残せるところを選択的に残したという感じですね。方言とか日常描写とか。SF設定とか科学的な説明に関してはものすごく変わってます。当初は翻訳SFの読者が読むだろうと思っていましたから、僕がふだん英語圏の現代SFを訳しているのと同じような感覚で、今のSFとして読んでもらえるような文章を心がけました。

 ハクスリー『すばらしい新世界』の新訳(2017年)を担当した時も同じでしたけど、今、日本の作家がこのテーマで書いたとしたらどうか。そういうものに近づける。中国だからとか、ハクスリーならばディストピア小説の古典だからではなく、いま読まれるSFとして違和感がないものにしましょうということです。

――私が『ディストピア・フィクション論』で『すばらしい新世界』を論じた部分は、最初、旧訳を引用して原稿を書いていましたが、その後に出た大森さんの新訳にさしかえました。言葉の選びかたがキャッチ―で、字面からポップなんですよね。

大森:過去に何種類も立派な翻訳があるのに、新訳を選んでもらうためにはそういうところで勝負しないと。あとはやっぱりSFらしさですね。字面が古典ぽくならないように、意図的にカタカナを増やしたり。その点は『三体』も同じで、もとが中国語ですから、人物名も漢字だし、放っておくとどうしても漢字が多くなる。見た目が真っ黒になってしまうので、そこは苦労しました。

 ただ、過去パートは、文化大革命から始まるし、舞台が軍事基地だったりするので、カタい雰囲気になるのもある程度はしかたがない。逆に現代パートは、ケン・リュウがジャパニーズ・スリラーみたいに読めるといっていて、たぶん鈴木光司の『リング』あたりが念頭にあるのでしょうが、「ゴースト・カウントダウン」のあたりはまさにそういう雰囲気。現代サスペンスとしてのリーダビリティの高さをできるかぎり再現しようとしました。過去パートとはっきり差をつけて、現代パートはどんどんカタカナを使う。中国らしさは、べつだん意識しなくても人名だけでじゅうぶん出るので、それ以外はアメリカSFの翻訳と変わらないようにしようと。中国のものだということを忘れるくらいにしたい。人物名が漢字だから忘れられないけど(笑)。ただ、名前が漢字だから読みにくいという人がいるのは意外でした。ふだん、「外国の小説は登場人物がカタカナだから覚えられない」としょっちゅういわれてるので、これなら大丈夫だろうと思ったのに(笑)

――「葉文潔」に「イエ・ウェンジエ」とか名前にルビがあっても読みを覚えられない(笑)。

大森:「ようぶんけつ」と読めばいいのにと思いますけどね。翻訳中は「ようぶんけつ」で変換してましたよ。「汪淼」も、「ワンミャオ」ではなく「おうびょう」で辞書登録してるし。ルビの通りに読みたいのに覚えられないという人がけっこうたくさんいたけど、四声の発音ができる人ならいざ知らず、カタカナ表記に合わせて読んでも原音とは全然違うのに。全部にルビをつけろっていう人と、漢字は読みにくいから人物名はカタカナにしろっていう人と、ルビは邪魔だから要らないっていう人がいて、もうどうすればいいのか(笑)。編集部の判断ではさみこんだ、栞がわりの登場人物表はすごく重宝されたみたいですが。

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