松岡正剛は何者だったのか? 「知の巨人」「香具師」……探求続けた“編集者”としての「強さ」と「弱さ」
■さまざまな意見が飛び交う、松岡正剛という存在
「ユリイカ」11月号は、「特集 松岡正剛 1944-2024」である。今年8月12日に80歳で亡くなった松岡の歩みをふり返る内容であり、関係者の証言、論考、本人の原稿や座談の再録などで構成されている。
1971年に工作舎を設立し、思想を中心にアート、科学、芸能など様々な領域を横断する雑誌『遊』を創刊し注目された彼は、1982年の退社以降は編集者であり続ける一方、著述家としても精力的に活動した。幅広い分野の書籍を紹介した『松岡正剛 千夜千冊』シリーズでは、タイトルを上回る1850冊をとりあげ、博学ぶりを印象づけた。
「ユリイカ」の特集には当然、追悼の意味あいがあり、故人の功績を称えるものが多い。そのなかで大塚英志「松岡正剛の「工作」と報道技術研究会の編集工学」が、彼の「工作」は戦時下の「国家広告」の宣伝や動員の手法を受け継いでいると批判したのが目につく。松岡が亡くなった際、SNSでの反応をみていると、『千夜千冊』に代表される「知の巨人」ぶりを懐かしむ人がいる一方、「うさんくさい」、「香具師」などと彼への評価を疑問視する声もあった。松岡はPR会社出身であり、工作舎退社後はNTT民営化に伴う研究企画と広報戦略に携わったほか、テレビ番組、企業、自治体などのプロジェクトにかかわった。実業家でもあり、客寄せを考える広告代理店的な仕事が、揶揄や不信を招いた面はある。
松岡の晩年の大きな仕事の1つに、KADOKAWAが埼玉県所沢市に設けた角川武蔵野ミュージアムがあげられる。2階層8mの高さに書籍を並べた本棚にプロジェクションマッピングも行う「本棚劇場」。独自の分類で本棚が街区のように配列され、来場者が書籍を閲覧できる「エディットタウン」。これらが呼びものとなった角川武蔵野ミュージアムを、松岡は、荒俣宏、隈研吾、神野真吾とともに監修し、初代館長も務めた。一方、松岡を批判した大塚英志は、批評家であると同時にマンガ原作者としてKADOKAWAとメディアミックスを展開した経緯がある。そのせいもあるだろうが、彼は先の論考で松岡の第一印象を語る際、「僕などに言われたくもないだろうが要は胡散臭かった」と書いていた。
しかし、「ユリイカ」の特集の表紙で、白い髭をたくわえ、髪を後ろに撫でつけ眼鏡をかけた松岡が、本棚の前で足を組んで座るモノクロ写真は、やはりカッコいい。彼には「うさんくさい」、「香具師」という批判までが、人をひきつける力を形容した誉め言葉に転化するような魅力やカリスマ性があった。「遊」時代から私塾を催し、後に学校を開いて多くの編集者を育てた実績もある。
松岡が提唱し、自らの多岐にわたる活動の基本としたのが「編集工学」である。その考え方は、『知の編集工学 情報は、ひとりでいられない。』(1996年)にまとめられている。それによると彼は、本や雑誌、映画など、編集という言葉が普通に使われる領域以外にも広く編集を見出している。仕事や料理のような家事にも編集はあり、編集のルーツは地球上の生命発生のドラマであるとまでいうのだ。取捨選択し、関連づけ、調整し、構成する編集は、生命発生も含め様々なレベルで行われていると彼は指摘する。世界を認識し、表現するうえで編集的方法は必須だとするのが、彼の立場だ。
副題に「情報は、ひとりでいられない」とある通り、同書では、言葉は常にべつの言葉とつながろうとしている、「情報が情報を呼ぶ」、「情報は情報を誘導する」ことが強調される。1980年前後に「編集工学」の言葉を思いついたという松岡は、雑誌の黄金時代だった1970年代にデザインも内容も特異な雑誌「遊」を創刊し、1990年代後半以降にインターネットが次第に一般化していく転換期を生きた編集者の1人だった。前述のNTT民営化に伴う研究プロジェクトでは、文化と技術の両面を統合した『情報の歴史』を監修してもいる。彼は『知の編集工学』において、情報の主要舞台が紙からインターネットへ移る状況に関し、「編集」をキーワードにして語った面がある。同書には、発表当時以上にネットが発達した現在を見通していたかと感じられる部分もあり、そのことについては2023年刊行の増補版で触れられている。
『知の編集工学』で興味深いのは、「編集的現実感」があるとする主張だ。松岡はそれを、編集(edit)と現実感(reality)を組みあわせた造語で「エディトリアリティ」と呼ぶ。『レ・ミゼラブル』のような大長編をミュージカル、劇画、絵本などへダイジェストしたりアレンジしたりしても、『レ・ミゼラブル』らしさは保存されている。その種の「らしさ」が「エディトリアリティ」であり、保存によって文化が伝播する機能につながっているという。彼は、文学の先行研究や歌舞伎の「世界定め」を踏まえ、物語には母型(松岡は「マザー」と呼ぶ)があり、そこから様々な物語が生み出されると説く(物語をめぐるこのへんの議論には、大塚英志『物語消費論』との共通性が見出せる)。