唯一の「京アニ大賞」受賞作、小説『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』に宿る“言葉の力”
届かなくていい手紙なんてない
本書は、美しさを単純に称揚すべきものとは扱わない。しばしば、それは残酷さと併存して語られ、時には残酷さを覆い隠すものとして描かれる。戦争で多くの人を手に掛けた「兵器」である少女が美しい手紙を書くという設定自体にも潜むその両立は、本書の至るところで顔を出す。小説家の愛娘が死んだ日に「とても天気が良かった」りする。世界は個人の死を悼むことなく美しく朗らかであるという、残酷な自然の摂理。
自然の摂理といえば、雪の描写には目を見張るものがある。アニメ化されていないエピソード「囚人と自動手記人形」の冒頭、死体の山に雪が降り積もるシーン。
とある戦場ではひとりの少女が空を見つめていた。
ゆっくりと落ちながら浮遊する白く冷たい物質について、少女は傍らにいた主に尋ねた。
これはなんですか、と。
「雪だ、ヴァイオレット」
主は硝煙の香りが染み込み煤けた手袋を脱ぎ、彼女の目前に手を開く。ひとひらの雪が舞い降りてすぐに溶けた。その光景の摩訶不思議さに少女の唇から吐息が漏れた。主の手に降りそそいでは溶けていくその物質の名を初めて口にしてみる。
「ゆき」
言葉を覚えたての幼児にも似た発言をする。
「そうだ、雪だ」
「ゆきは・・・・・・とけるものと、とけないものがありますか?」
少女はまだ握ったままだった武器で地面に転がる死体を示した。物言わぬ躯には既に粉砂糖をまぶすが如く雪が降り積もっている。(上巻 P192)
汚れない純白の雪は、ぬくもりある生者の肌には積もらないが、体温を失った死体には積もり、美しい雪化粧を作り出す。その様を見たヴァイオレットは、「雪は積もると他の色を消してしまうのですね」と言い放つ。美しい純白の雪が、戦場の惨劇を覆い尽くしてゆく。死体を覆い隠す純白の雪は、美しさの裏に消せない過去を持つヴァイオレットのことでもあるかもしれない。
雪にまつわる死のイメージは、転じて、届けられない手紙の束にそのイメージを重ねる。ギルベルトに向けてヴァイオレットが書いた、出す宛てのない手紙の山をこのように著者は描写する。
部屋を訪ねたホッジンズが見たのは床に散らばる手紙の中で座り込んでいるヴァイオレットだった。その数は一通や二通ではない。数十通の手紙が死体の如く静に積み重なっている。死んだ思いが、まるでしんしんと降り続ける雪のように溶けることなく、ただ存在しているのだ。(下巻 P88)
後に自動手記人形となるヴァイオレットは、依頼者に「届かなくていい手紙なんてない」と自らに言い聞かせるように言う。病で死にゆく母が幼い娘に手紙を残し、息を引き取る寸前の若い青年兵が最後の力を振りしぼって愛する者への手紙を綴るのをヴァイオレットは手助けする。肉体が滅んだとしても、想いが手紙として届けられるなら、その想いだけは生き続ける。せめて、想いは死なせたくない、だから「届かなくていい手紙なんてない」とヴァイオレットは言う。
失われた者は決して戻ることはない。それでもその想いが、その言葉が、残された人々に前を向かせてくれる。それが言葉の力なのだ。「あいしてる」という言葉が、どれだけ人の生きる糧となれるのか、「うつくしい」という言葉が本当はどれだけ美しいのか、本書を読んで筆者は知った。インターネットの言葉の洪水に飲まれそうになった時、筆者はもう一度本書を手に取るだろう、言葉の力を思い出すために。
■杉本穂高
神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の元支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。
メイン画像:暁佳奈『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 上巻』(KAエスマ文庫)