Salyuデビュー20周年記念トリビュート『grafting』ライター3名によるクロスレビュー:全18組の新解釈で見出された楽曲の真価
imdkm「Salyu×小林武史サウンドを変容させるシンガー/アレンジャーの手腕」
Salyuのデビュー20周年を記念し、さまざまなアーティストが集ったトリビュートアルバム『grafting』。多彩な歌声を通じてSalyuの作品に新たな光があたるところが一番の聴きどころなのはもちろん、多くの作品でプロデュースを担ってきた小林武史と共につくりあげてきたSalyuのサウンドがこの機会にどう変容しているかも興味深い。小林武史との仕事を中心にディスコグラフィを振り返ると、ギター、ベース、ドラムのリズム隊に鍵盤楽器やストリングスをとりあわせたオーセンティックなスタイルをベースとしつつ、エレクトロニックなサウンドを取り入れアンビエント的な風景を感じさせる、いわばシネマティックなサウンドも目立つ。トリビュートでは、後者の側面を現代的に拡張したものがあざやかに際立った印象がある。
事実上のデビュー曲である「VALON-1」のCharaによるカバーでは、君島大空がアレンジから演奏、プログラミング、バッキングボーカル、録音、ミックスまでを引き受けた。原曲が先述したオーセンティックなスタイルのアレンジであるのに対して、君島のアレンジはむしろ後者を先鋭化させたもの。グリッチノイズも含めた繊細な音のテクスチャを組み合わせていきつつ、メロディアスな味わいを豊かにふくらませる君島の手腕がいかんなく発揮されている。
ほかにも、中納良恵による「プラットホーム」も素晴らしい。中納がソロ活動で制作をともにしているドラマーの菅沼雄太やエンジニアの中村督との作品だ。原曲がエモーショナルかつドラマチックな展開を丁寧に演出していくのに対して、むしろ小さなメロディが折り重なっていくような構成が、カバーとしてのコントラストを生み出している。
宅録、トラックメイク的アプローチを感じる前2曲に対して、青葉市子×岩井俊二による「アラベスク」や、坂本美雨による「コルテオ ~行列~」は、歌声を含めた豊かな音の響きが贅沢に封じ込められている。前者は青葉市子のギター弾き語りと岩井俊二のピアノというシンプルな編成ながら、それぞれの歌唱と演奏が残響のなかへと溶け込んでいくような葛西俊彦の録音と音作りが没入感をつくりだしている。後者は原 摩利彦がアレンジを手掛け、こちらも編成はシンプルながら、アレンジの妙とポストプロダクションで重厚なサウンドスケープをつくりだしている。録音及びミックスは原真人だ。
しかし、出色だったのは山内総一郎(フジファブリック)による「Dramatic Irony」のカバー。原曲のメロディがもつ楽曲の牽引力が浮き彫りになるアレンジが印象的だ。バックビートを強調してグルーヴをつくりだすかわりに、楽曲を前へ前へと急かすようなドラムの演奏や、アップライトベースのさわりの響き、Bメロからサビへかけて、和声感をまっすぐ押し出すピアノの高揚感も良い。一つひとつのサウンドは飾り気がないものの、録音物としてのアンサンブルが壮大な印象を与えるのは、アレンジに加えて、浦本雅史の録音とミックスの貢献も大きいだろう。
どの曲も大胆なアレンジを施しているものの、明らかに異質な要素を感じさせるものは少ない(EDM以後の英米のメインストリームポップのサウンドと構成を取り入れたVK Blanka(ビッケブランカ)や、ホーンもまじえつつバンドらしいアンサンブルを聴かせるMONGOL800が例外か)。小林武史とSalyu、ふたりの紡いできたサウンドがいかに懐が広く、かつ現在へとつながっているかを示しているようにも思える。そんなことをふまえて、原曲と聴き比べながら楽しみたいアルバムだ。