映画『嫌われ松子の一生』とBONNIE PINK、再会の連鎖が導いた2つのヒット【評伝:伝説のA&Rマン 吉田敬 第8回】

 今から十数年前、48歳という若さでこの世を去った“伝説のA&Rマン”吉田敬さん。吉田さんと長年様々なプロジェクトを共にしてきた黒岩利之氏が筆を執り、同氏の仕事ぶりを関係者への取材をもとに記録していく本連載。第8回となる今回は、映画プロデューサーの石田雄治氏が登場。同氏が音楽業界から映画業界へと転身してから10年のタイミングで再会した吉田さんと取り組んだのが、映画『嫌われ松子の一生』だった。制作当時のエピソードを他関係者の証言とあわせて振り返っていく。(編集部)

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“伝説のA&Rマン”吉田敬さんの仕事ぶりを関係者への取材をもとに記録していく本連載。第7回は、コブクロへのインタビューをお届けす…

『嫌われ松子の一生』は敬さんの人脈の集大成に

 約1年をかけて、関係者に取材・インタビューをしてきた本連載『伝説のA&Rマン 吉田敬』の書籍化に向けた準備が佳境を迎えている。今まで連載してきた部分に加え、敬さんの高校時代からの前半生から僕たちがお別れすることになる2010年までをほぼ時系列順に再編成し、1冊の本にまとめる。音楽業界出身の僕からすると、連載版をシングル盤に例えるならば、書籍版はアルバムを作る作業に似ているなと感じた。連載では紹介しきれなかった各エピソードのロングバージョンや、書籍版でしか読めない書き下ろし新エピソードなどを収録予定のため、是非続報をお待ちいただきたい。

 そんな書籍版の原稿準備に追われていた師走直前のある日、僕は書籍版の中でもインタビューし、登場する、映画プロデューサーの石田雄治氏ともう一度会うことになった。石田氏はプロデュースする新作2作がクランクインするという多忙な中、言い残したことがあると言って時間を割いてくれたのだ。石田氏は『告白』(2010、監督:中島哲也、主演:松たか子)や『八日目の蝉』(2011、監督:成島出、主演:井上真央、永作博美)など、興行的にも成功を収め、その年の国内映画賞を独占するような話題作を次々と手掛ける日本映画屈指のプロデューサーだ。彼のキャリアを遡ると、そのスタートはCBS・ソニーに1985年に入社するところから始まる。つまり、敬さんと同期入社なのである。

「吉田くんと再会したのは、同期会以来だったかな。同期の中で彼が一番の出世頭で雑誌などのインタビューをみて、“あの吉田が!”とみんなが驚いていた。新入社員研修でも目立ってなかったし、強烈な個性を押し出して輝いている同期達のなかでは地味で真面目な印象だったから、すげえなってみんなで話していたのを憶えている」(石田氏)

 その頃、石田氏は音楽事業ではない、キャラクターグッズや化粧品を扱う関連会社であるソニー・クリエイティブプロダクツに配属され、映画配給会社のGAGAに転職後、ポニーキャニオンを経て、アミューズソフトエンタテインメントという会社に所属し、中島哲也監督の『嫌われ松子の一生』を準備していた。

 当時のワーナーミュージックは、コブクロのミリオンヒットとともに、社内の状況が良い意味で変わりつつあった。A&R体制が機能し始め、ワンチームとなった宣伝部が、強力に楽曲プロモーションを推進した。僕がマネージメントする宣伝企画部も、その役割が理解され始め、主業務のタイアップ獲得だけにとどまらず、社内の大きなプロジェクトの推進役を任されるようになっていった。そんな敬さんが次に目をつけたのは映画主題歌だった。

 2004年5月に公開された東宝映画『世界の中心で、愛をさけぶ』(監督:行定勲、主演:大沢たかお、長澤まさみ)は85億円の興行収入をあげ、いままでの邦画の常識を覆すエポックメイキングな作品となった。洋高邦低といわれた映画業界が、この作品から邦画作品が興行の中心となり、シェアが逆転していくきっかけを作ったということもあったし、音楽業界からすると主題歌の「瞳をとじて」(平井堅)がオリコン年間1位を獲得する大ヒット曲となったのが衝撃的であった。その後、『いま、会いにゆきます』(監督:土井裕泰、主演:竹内結子、中村獅童、主題歌:ORANGE RANGE「花」)が続き、さらに熱い視線が注がれるようになった。そんな流れの映画界の一角に、石田氏がいた。石田氏はその頃、CM出身の中島哲也監督『下妻物語』(主演:深田恭子)をプロデュースし、業界の注目を集めていた。その中島哲也監督との次回作である『嫌われ松子の一生』の準備中に敬さんと再会を果たすことになったのである。

「音楽映画という構想だったので、実際のミュージシャンを何人かキャスティングする必要があった。ワーナーミュージックというグローバルな会社で吉田くんがまとめて引き受けてくれるなら、いけるんじゃないかと思った。(ワーナーミュージックのある)青山ビルの社長室を訪ねて、打ち合わせをしているときに、ふと壁をみるとBONNIE PINKのビジュアルが目に飛び込んできた」(石田氏)

 石田氏はポニーキャニオン時代、BONNIE PINKデビュー時の宣伝担当をしていた。スウェーデンのポップグループ、カーディガンズのプロデューサー、トーレ・ヨハンソンを起用し、赤い髪というビジュアルで、ほとんど英語詞のシングル「Heaven’s Kitchen」(1997年)で一躍脚光を浴びた時期をともに過ごした石田氏が、その後映画業界に身を投じ、巡り巡って活動10周年となる、このタイミングでの再会となった。運命的な再会である。敬さんとともに、BONNIE PINKの所属する事務所タイスケの社長、森本泰輔氏を訪ねた。

「カオリちゃん(BONNIE PINK)がソープ嬢の役やって? それはおもろい!」

 石田氏との再会を喜んだ森本氏は快諾してくれた。

 『嫌われ松子の一生』は中谷美紀演じる主人公・川尻松子が転落人生を歩む悲劇的なストーリーだが、CGを駆使したファンタスティックなミュージカルシーンが挿入される中島哲也ワールド全開の作品。

 BONNIE PINKの役どころはエリート人生から転落し、ソープ嬢になった松子とタッグを組む綾乃役。普通に考えたらあり得ないキャスティングだが、森本氏の感性に響く何かがあったのかもしれない。こうして、松子が入る刑務所の囚人役にAIが、超人気シンガー役で木村カエラもキャスティングされ、中谷美紀も含め、それぞれがオリジナル曲を劇中でパフォーマンスした。また、ワーナーミュージック洋楽のプライオリティアーティストであった、マイケル・ブーブレ「Feeling Good」も挿入歌として使用されている。

 コブクロのブレイクを横目で見ながら、森大輔、RIP SLYMEなどの担当をして、A&Rとしての修行を積んでいた鈴木竜馬氏(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント、The Orchard Japan代表)は、ちょうどこの頃、自らBONNIE PINKの担当を志願していた。タイスケとの関係値、アーティストとしてのポテンシャルなどから、次に自分がやるべきアーティストはBONNIE PINKだと思ったという。

 僕らからは“竜馬”で親しまれ、後輩からは“竜馬さん”と慕われる彼が、その年の年末に号令をかけ、タイスケの屋上にあるカフェであるパーティーを開くことになる。

「とにかく、みんなの士気を高めようと思った」(竜馬氏)

 ワーナーミュージックの制作、宣伝、営業のメンバーが集まり、“来年ベスト盤を発売する、BONNIE PINKを売るぞ!”という趣旨の元、決起集会が行われた。

 このパーティーの場で竜馬氏は、敬さんにこう宿題を出されたという。

「今までボニーがやってこなかった、ベタなイベントとかやって、スポーツ紙を呼び込んで(ネタにする)みたいなこと、考えてみろよ」

 ワーナーミュージックは映画『嫌われ松子の一生』に出資し、製作委員会に参加した。委員会の会議には僕が参加することになった。幹事会社のプロデューサーとして、颯爽と会議を仕切る石田氏をまぶしく見つめながら、ワーナーミュージックの代表として、劇中使用される数ある曲のなかで、どれだけBONNIE PINKの楽曲を際立たせて映画宣伝をしてもらうか、それをどう委員会の他のメンバーに認識、理解してもらうかがテーマだった。そんなとき、竜馬氏は“どうせなら主題歌としてのクレジットをもらおう”と僕に提案してきた。そのために映画の試写に本人を帯同させて主演の中谷美紀とセットで全国試写を回し、ミニライブを行いたいと、東宝の宣伝部に申し入れてくれたのだ。そのアプローチが実って、映画での扱いは1シーンだったが主題歌としてのクレジットを手にすることができた。全国の映画館で掲出される告知ポスターにも、劇場で流れる予告編にも主題歌、BONNIE PINKの名前が躍った。

BONNIE PINK - LOVE IS BUBBLE

 そして、竜馬氏は敬さんの宿題に応えるべく、ミニライブ付き試写会の集大成としてこんなイベントを計画したという。

「歌舞伎町のオオバコといわれる昔からあるキャバレーを何とか借りることができた。映画の世界観を再現する場所としてはこれ以上ない場所だった。宣伝費も限られていたので、自ら金のタキシードを着てアフロのかつらを被って司会をしました(笑)」(竜馬氏)

 この試写イベントは反響を呼び、翌日のスポーツ紙とワイドショーを賑やかした。製作委員会のメンバーも、このレコード会社っぽいベタなプロモーションを喜んでくれた。このイベントを呼び水に映画自体の宣伝もさらに力が入っていく。

 そんな委員会のメンバーには、ホリプロの現代表取締役社長の菅井敦氏もいた。深田恭子のマネージャーだった菅井氏は、石田氏とは前作『下妻物語』を世に送り出した同志で、敬さんとは、お互いがテレビの局担をしていた若手時代以来の再会となった。

「吉田さんとは、気がつけば知り合いだったという感じです。僕も吉田さんもテレビ局担当という役回りで、終始局に張りつき自社タレントの売り込みや、ドラマなどのキャスティング情報をリサーチしていました。吉田さんは、歌番組だけでなく、ドラマやバラエティのキャスティングや改編情報をリサーチして、自分の攻め込む番組の見当をつけてました。そんなレコード会社のプロモーターは当時珍しいタイプだったということもあり、とても気が合いました。会うのはいつも局でしたが、“菅井さん、情報なんかありますか?”とぶっきらぼうに話しかけられた記憶があります」(菅井氏)

 敬さんと石田氏、石田氏と森本氏、菅井氏と敬さん、再会の連鎖がこのプロジェクトをさらに風通しの良いものにしたと思う。原作サイドとして参加していた幻冬舎の小玉圭太氏も『月刊カドカワ』時代に雑誌担当の敬さんと会っていたという。

 敬さんの築き上げてきた人脈の集大成がこの製作委員会にあったような気がしてならない。

映画『嫌われ松子の一生』予告 出演:中谷美紀/瑛太

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