久保田利伸「LA・LA・LA LOVE SONG」はいかにして誕生したのか ファンキー・ジャム社長 大森奈緒子氏インタビュー【評伝:伝説のA&Rマン 吉田敬 第5回】

評伝:伝説のA&Rマン 吉田敬 第5回

 今から十数年前、48歳という若さでこの世を去った“伝説のA&Rマン”吉田敬さん。吉田さんと長年様々なプロジェクトを共にしてきた黒岩利之氏が筆を執り、同氏の仕事ぶりを関係者への取材をもとに記録していく本連載。第5回となる今回は、吉田さんが魅了されたボーカリストの一人、久保田利伸のプライベートオフィスであるファンキー・ジャム社長 大森奈緒子氏へのインタビューをお届けする。現在も歌い継がれる平成ドラマ主題歌の金字塔、『ロングバケーション』主題歌「LA ・LA・ LA LOVE SONG」に至るまでの布石をはじめ、吉田さんがアーティストプロモーションに注いだ情熱が伝わってくる貴重なエピソードの数々を語っていただいた。(編集部)

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「LA ・LA・ LA LOVE SONG」へとつながっていくキーパーソンらとの交流

 2023年4月クールのフジテレビ系月9枠は木村拓哉主演の『風間公親-教場0-』。それにちなんでFODをはじめ各映像配信サービスは、こぞって不朽の名作ドラマとして彼が出演した『ロングバケーション』(1996年、主演:山口智子)をピックアップし、Z世代の若者たちにも新鮮な感動を与えた。その主題歌である、久保田利伸 with ナオミキャンベル「LA ・LA・ LA LOVE SONG」は、当時ミリオンヒットを飾り、90年代を代表する曲として記憶されるとともに、今でもCMソングでカバー曲が使用されるなど時代を越えて愛される一曲だ。

 敬さんのソニーミュージック若手時代のキャリアの中でも燦然と輝くタイアップ獲得実績として、『電波少年』のヒッチハイクシリーズ応援歌と双璧をなすと思われるこのドラマ主題歌の獲得と成功は、今でも伝説として関係者の間で語り継がれている。連載5回目となる今回は、久保田利伸が所属する事務所であるファンキー・ジャムの社長、大森奈緒子氏に話を聞き、当時のことを振り返ってもらった。

“大森さん、今から行ってもいいですか?”

「いつもタカシは、そう電話をかけてくると、事務所にワッとやってきて、アイスコーヒーを飲んで帰っていった。ウチにはコーヒーはあっても、アイスコーヒーはないので、いつもホットコーヒーに氷を入れたものを出していて、それをごくごく飲んでました。本当に10分くらいで帰っちゃう、風のような人(笑)。でも、その10分の中に全てがあるんでしょうね。例えば、今考えてることを10分で私が話すと、そのゲットした情報をどうやって料理しようかと考えるとき、もうウチの事務所にいる必要はない。だから雑談もしない。“天気がいいですね”もない。もう用件のみ。 “大森さん、よいヒントをもらいました!”と言って帰っていく。私はもっとおしゃべりしたいタイプなんだけど(苦笑)」

 1986年、シングル『失意のダウンタウン』でデビューした久保田利伸は、大学卒業後、デビューまでに1年の準備・空白期間があった。久保田は、シンガーやアイドルへの楽曲提供など作家活動をして過ごす合間を使って伊豆のスタジオにこもり、リスペクトするブラックミュージックやソウルミュージックの曲を“遊び”でカバーしレコーディングしていったという。その中には、1人で「We Are The World」(U.S.A. for Africa)の全てのパートを歌ったもの、スティーヴィー・ワンダーの曲をアカペラで一人多重録音したもの、田原俊彦に提供した楽曲のセルフカバーなどがあり、彼のルーツミュージックと非凡で突出したボーカル力をアピールするバラエティ豊かなデモ音源となった。

 そのときの音源が、彼がデビューする前に媒体関係者に配った通称「すごいぞ!テープ」の元になったという。新卒でCBS・ソニー国内販売促進部に配属され、プロモーターデビューした敬さんは、まずはこのテープを媒体に配りまくることによって、久保田利伸の存在をアピールしていく。やがて、自分の担当媒体である雑誌の取材やラジオのゲスト稼働の場で本人やその時マネージャーとして現場にいた大森氏との接点、交流が生まれるようになる。

「私の中で敬は最初から“タカシ”だった。久保田本人とも同世代で、80年代ディスコやソウルミュージックなど好きな音楽がすごく似ていたんですよね。あと学生時代に野球を頑張っていたところも。だからタカシは久保田のことをすごく好きだったと思います。久保田の作る音楽とか、どこかでシンパシーがあったような感じがしますね」

 1992年、久保田利伸は所属していたキティミュージックを離れ、現事務所ファンキー・ジャムをプライベートオフィスとして設立。大森氏がマネージメント業務を統括することとなる。1993年5月にリリースされた新体制第1弾シングルは、本人出演のコカ・コーラCMソング「ふたりのオルケスタ」とドラマ主題歌「夢 with You」をそれぞれ表題曲に据えた8cmシングル2枚同時発売だ。

「あの頃のソニーミュージックの宣伝マン達は、すごくアグレッシブで良き時代でした。それぞれのアイデアを持って自分の持ち場で全力を尽くすといいますか、皆さんが自分のテリトリーの中で、切磋琢磨してやっているのが記憶に残っていて。各メディア担当が事務所にもちょくちょく遊びに来てくれていました。そして自分の担当する媒体でどう久保田を売り出していきたいかを私に話してくれるんです。そうやって話すことで、アイデアが膨らんだり面白い情報を得られたりするので楽しかったですね。

 アーティスト担当(アー担:アーティストの宣伝戦略を管轄する宣伝マン)も媒体担当を兼務していた時代で、スケジュールこそアー担がまとめるけれど、各媒体のことはアー担を通さず、直接私とやり取りしていました。直に情報が入るので、状況も見えやすいし、私にとってはそれが一番やりやすかったです。その中の1人にタカシがいて、いつもいち早く最新の情報を持ってきてくれていた。タカシは媒体のキーマンを探り当て、スッと懐に入るのが得意だった。タカシのアイデアに私が良いリアクションをすると、そのキーマンに有無を言わせず私を引き合わせてしまうんです。その後はタカシを入れて3人での打合せになるのですが、タカシは何もしゃべらない(笑)。すると、先方と私はお互い何とかしなきゃいけないという感じになり、まずは打ち合わせを前に進めていかざるを得なくなるんです。巧みでしたよね。たぶん、先方や私の性格を見越していたんだと思います。だから、会わせちゃったら成立するぞっていう目論見があったんでしょうね」

 そんな中、敬さんが大森氏と引き合わせたうちの一人が、フジテレビのドラマ制作部にいた塩沢浩二(塩澤浩二)氏だという。

「タカシと塩沢さんには共通の趣味があり、相当仲良しだった印象がある。ジャンボさん(ソニーミュージックの久保田利伸制作担当)も含めた4人でよく食事にも行きましたね。当時はCHAGE & ASKA(現CHAGE and ASKA)、ユーミン(松任谷由実)、小田和正など、ドラマ主題歌きっかけで大ヒットが生まれる時代に突入していた。もうある程度のセオリーができていたんです。だから各社がみんなドラマ主題歌のタイアップを欲しがっていたはずなんですよ。そもそも簡単にはいかない状況の中、タカシの情報網や作戦がうまくいって、ドラマプロデューサーと近づける機会を仕込んでくれたのだと思う」

 このメンバーで初めて実現したのが、フジテレビ系水曜21時枠の連続ドラマ『チャンス!』(1993年、主演:三上博史)の主題歌「夢 with You」である。

 大森氏の話にも出てきた当時の久保田利伸の制作担当、“ジャンボさん”こと元ソニーミュージック(現:JSDファクトリー代表)佐藤康広氏にも話を聞いた。

「僕が敬を知るようになったのは、福岡のエリア担当時代から。僕が仕切るエリア会議の場で敬が積極的にアイデアを出してくれて、地方発の音楽情報番組を作ることになったのを憶えている。本社に戻って敬がタイアップ担当として動き出したころ、ちょうど僕がシンガーソングライターの楠瀬誠志郎の制作担当をしていて、“ジャンボさん、これからはドラマタイアップですよ。積極的にいきましょう”と敬が言うので、それに触発されて、TBSの八木さん(ドラマプロデューサー、八木康夫氏)に直談判して、TBSドラマ『ADブギ』(1991年、主演:加勢大周)の主題歌に「ほっとけないよ」が決まり、スマッシュヒットした。その直後に敬の方から“次の主題歌もすぐ動きましょう!”と働きかけてくれて、日本テレビのドラマ『いとこ同志 -Les Cousins-』(1992年、主演:高嶋政伸・山口智子)の主題歌に「星が見えた夜」を決めてくれた。小山啓さんというプロデューサーに直接アプローチし、話を進めていたように思う。

 敬はピンポイントでドラマのキーパーソンに食い込んでいた。特にフジテレビ(当時は共同テレビ)の塩沢浩二さんにベタ付きで、何回も“飯一緒に行きましょう”と言われ、敬に付き合って塩沢さんと何回も飯を食って。さらに(ファンキー・ジャム)大森さんもかり出して、しつこいぐらいのアプローチの末、ついに『チャンス!』というドラマに久保田利伸の「夢 with You」を決めてくれた。敬は、すでにこの頃から大森さんにも“タカシー!”と可愛がられてたな」

 「夢 with You」の次に敬さんは、『いとこ同志』で接点のあった小山氏の手掛ける『夜に抱かれて』(1994年、岩下志麻主演)というドラマに久保田利伸をプッシュした。その時、小山氏には、別のアーティストが意中にあり、それを察知した敬さんとジャンボさんは別なアプローチを試みたという。ソニーミュージックの先輩で南沙織や山口百恵を手掛けたプロデューサー・酒井政利氏に相談を持ちかけた。

「(ドラマの脚本を担当する)井沢満さんと酒井さんは懇意にされていた。酒井さんから井沢さんに話をしてもらって、“曲の雰囲気や詞に関して、久保田さんに自分がいろいろ相談できるんだったら是非やりたい”という話になり、プロデューサーの小山氏にも礼を尽くして、“絶対にヒットさせるんで”と。その話を全部、敬がまとめてくれた」(ジャンボさん)

 こうして、最終的には脚本家・井沢満氏が作詞を手掛けるというコラボが実現し、「夜に抱かれて~A Night in Afro Blue~」が誕生、主題歌となった。

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