映画『嫌われ松子の一生』とBONNIE PINK、再会の連鎖が導いた2つのヒット【評伝:伝説のA&Rマン 吉田敬 第8回】
「彼の思い出とともに決して忘れることのない一番重要な作品」
映画『嫌われ松子の一生』はスマッシュヒットし、初めて製作委員会に参加したワーナーミュージックとしても委員会収入が入り、プロジェクトとしても成功を得ることができた。そして、BONNIE PINKは主題歌「LOVE IS BUBBLE」の映画と連動したパブリシティが牽引する形で注目を集め、その次にリリースされたシングル曲「A Perfect Sky」が資生堂アネッサのCMに使われ、大ヒットとなる。
「クリス・ペプラーさんの知人がCMの音プロ(音楽制作会社)をやっていて、クリスさんが、資生堂のアネッサのCMソングにBONNIE PINKを推してくれた。その時大人気だった“エビちゃん”こと蛯原友里が大胆な水着姿で登場する鮮烈なCMだった。そこで、CDの初回盤は採算度外視して2形態でリリースしました。限定盤はアネッサを買ったらもらえるレジャーシートをつけて、ジャケットも蛯原さんの背中が大きく開いた水着の後ろ姿の写真を使わせてもらった。いわゆる背中ヌード。それが受けて、オリコンのデイリーチャートの上位にいきなりランクインした」(竜馬氏)
ロングヒットした「A Perfect Sky」で、BONNIE PINKは同楽曲2回目の『ミュージックステーション』出演を実現させる。それは、ちょうどワーナーミュージックの社員旅行の真っ最中だった。宴会を中断して、敬さんを筆頭に全社員がBONNIE PINKのパフォーマンスを見守った。屋上のパーティーで“売るぞ”と誓った社員たちが有言実行の達成に酔った。社内が自分の仕事に自信を深め、さらに一体感を増していく瞬間だった。
直後にリリースされたベストアルバム『Every Single Day-Complete BONNIE PINK(1995-2006)』は70万枚を出荷するBONNIE PINK史上最大のヒットとなり、年末の『NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たす。
BONNIE PINKの大ヒットは所属事務所タイスケ、森本社長と敬さんの絆を深めた。
ある日、森本氏はあるアーティストのデモを敬さんに聞かせた。そのデモテープの中には圧倒的な歌唱力の女性シンガーが歌う、「愛をこめて花束を」という曲が収録されていたという。後にSuperflyとしてワーナーミュージックからデビューを果たすことになる。
その後も、石田氏は敬さんと新作映画の構想を練ったり、レコード会社主体で制作する映画ビジネスを模索したが、実現には至らなかった。
敬さんが亡くなる1カ月前にも、カジュアルな飲み会を開き、意見交換をしたばかりだった。翌日、敬さんから石田氏に連絡が入り、体調がすぐれず早めのお開きとなったことを詫びられたという。
訃報が入っても、最初は何のことかわからなかった。そして、なぜか敬さんとともに参加した新入社員研修の風景を思い出したという。石田氏はソニーミュージックに入社して行われた新入社員研修を途中でドロップアウトした。個性的で押し出しの強い同期とその時の自分を比べて勝てる要素が何もないと正直思ったからだ。
自信を失くし、精神的にやられてしまった。1回壊れた自分が、回復できたのは、入社後の大阪での転勤生活とその時のざっくばらんで気さくな上司のおかげだった。しかし数年後、その上司は突然自ら命を絶ってしまった。
「壊れた僕を救ってくれた上司と彼を重ねてしまった。弱みをみせない吉田くんにも、繊細でデリケートな部分があったことをその時、思い知らされた。『嫌われ松子の一生』は、クランクイン前から色々なトラブルが発生して大変だったけど、そんな時に彼と再会し、バッチリ組んで、ヒットに導くことができた。“結果良ければすべて良し”で、やって良かったという作品になった。プロデューサーとしての仕事の中で自分のキャリアにもなったし、難題に向かって処理していくというスキルアップにもつながったと思う。僕にとっては『告白』や『八日目の蝉』よりも、彼の思い出とともに決して忘れることのない一番重要な作品だと思っています」(石田氏)
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