ベルウッド・レコードのアーティストが集結した50周年記念コンサート フォークやロックの黎明期を彩った名曲の数々

ベルウッド・レコード50周年記念コンサートレポ

 『ベルウッド・レコード50周年記念コンサート』が11月11日、東京・中野サンプラザで開催された。

 1960年代後半、公民権運動やベトナム戦争などの影響で「政治の季節」と呼ばれた反権力の風が吹き荒れる日本で、平和を訴える若者たちがギターの伴奏に乗せて歌っていたのはフォークソングだった。

 日本におけるフォークやロックの黎明期を彩った名盤を多くリリースしてきたのが、<ベルウッド・レコード>である。本公演は1972年に設立され、後世に大きな影響を残したとされる、この伝説的なレーベルの50周年を祝うもの。色あせない名曲といぶし銀のパフォーマンスが繰り広げられた、この日の模様をレポートする。

 会場には往年のファンから、明らかにリアルタイムを知らないはずのZ世代と思しき若者まで、老若男女が集結。そこで期待されていたのは懐かしさだけではなく、50年という月日が育んだベルウッドの“今”だった。

 まず〈三条へいかなくちゃ〉と高田漣がフォークギターでぽろぽろと弾きながら歌い出す。父・高田渡が1971年に発表した「コーヒーブルース」だ。喫茶店をめぐる日常が淡々とした日本語で彩られ、この日のライブは幕を開けた。そして「今日はレジェンドが次から次に登場します」と高田。彼がレーベルとシンガーを紹介する形でコンサートは進行していく。

 最初に登場したのは、いとうたかお。彼は「あしたはきっと」と「生活の柄」を語りかけるように歌う。続いて登場した大塚まさじは「こんな月夜に」を吟遊詩人さながらに表現してから、Bellwood 50th BANDとともに「プカプカ」を披露。星野源のバックバンドでもおなじみの武嶋聡の渋いブルースフレーズも光った。

 シンガーたちをサポートする、この夜のホストバンド・Bellwood 50th BANDのメンバーは、高田漣(Gt)、坂田学(Dr)、伊賀航(Ba)、野村卓史(Key)、武嶋聡(Sax/Cla)の5名。数々の現場で活躍する彼らの確かなスキルが時を超えて、フォークの重鎮たちと交わる。

 続いて、中川五郎は「メッセージソングが聴かれなくなってから、歌うようになった曲」と説明し「ミスター・ボー・ジャングル」と「ミー・アンド・ボビー・マギー」を披露。形式的な「ブルース」だけでなく、その概念さえも霧散したような現代に響いた。

 そのエッセンスを継承したひとりが森山直太朗かもしれない。高田の「僕と同世代でベルウッドに憧れてシンガーになった友達を紹介します」というMCで現れた彼は西岡恭蔵「君住む街に」をカバー。自身の歌だけで世界を作りあげてから、渋いギターをフェードインさせていった瞬間に思わず息を飲む。「物心ついてから、あれもこれもベルウッドレコードからリリースされていたと知ることになりました。日米のフォークソングとその時代背景が好きで、憧れがあります。1999年の恭蔵さんの追悼ライブを観客として体験した時、あの時代は本当にあったんだと感じました。そこで演奏していた(高田)漣君、(坂田)学君と今同じ舞台にいることの喜びと不思議を感じています」。そう語ってから、もう一曲。ニューヨークシティマラソンへの出場のため欠席したという友部正人の「一本道」を弾き語る。エモーショナルなブルースハープの演奏でも魅せた。

 あがた森魚は、ムーンライダーズ・鈴木慶一と武川雅寛を迎え、思い出話を交じえながら「赤色エレジー」と「冬のサナトリウム」をバンドとともに力強く演奏。引き続いて、鈴木慶一と武川雅寛のふたりがパフォーマンス。彼らがロックバンド・はちみつぱいのメンバーとして活動し、はっぴいえんどと共に日本語でロックを歌う道を開拓していった歴史が語られることはあまり多くない。この夜を「走馬灯のよう」と表現して、彼らがパフォーマンスしたのは、はちみつぱいとしてベルウッドに唯一残したアルバム『センチメンタル通り』より「塀の上で」。ハモリが効いたメロディで魅了した後、さらに続けた「煙草路地」も50年の時の流れを感じさせなかった。

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