the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第7回 様々な出会いを重ねて1stアルバム『K.AND HIS BIKE』完成

バンアパ木暮、1stアルバム完成を振り返る

 the band apartのドラマー・木暮栄一が、20年以上にわたるバンドの歴史を振り返りながら、その時々で愛聴していたり、音楽性に影響を与えたヒップホップ作品について紹介していく本連載「HIPHOP Memories to Go」。前回は、ヒップホップが過渡期を迎える中で、the band apartが確立させたオリジナリティ溢れる曲作りについて振り返った。第7回では、先輩バンドマンたちとの“対等な人間関係”を築いていく中で、ついに完成を迎える1stアルバム『K.AND HIS BIKE』の制作について綴る。(編集部)

音楽さえカッコよければ認め合える対等な人間関係

 KANというアーティストを知ったのは、小学生のとき同級生の女の子が貸してくれた「ハンサムな彼女」という漫画の作者(吉住渉)が、欄外のコメントで紹介していたのがきっかけだ。

 有名なのはもちろん大ヒット曲「愛は勝つ」だと思うが、その曲が収録されたアルバム『野球選手が夢だった。』よりふたつ前の作品『GIRL TO LOVE』を先ほど聴き直したら、かなり聴き覚えのある曲が並んでいた。記憶からこぼれ落ちているだけで、あるいはその時期に借りたか何かして聴いていたのだと思う。当時の米メインストリーム、特にビリー・ジョエルからの影響が色濃いサウンドの上で、様々な若者の恋愛模様が歌われている。全体に風通しの良い軽妙さや余裕のようなものを感じさせるのは、バブルと呼ばれた時代背景ゆえかもしれない。

 そんなKANと同じ名前を持つラッパーが、MSC(当初はMS CRU)を率いて『帝都崩壊』をリリースするのはその十数年後のことだ。言わずと知れた、漢 a.k.a. GAMIである。

 交番前でブラントに火をつけて見せる、不敵な面構えの5人組……そんなジャケットのインパクトも凄かったが、不穏なピアノループの上で当時のシーンを切りまくる2曲目「幻影」には、完全にブッ飛ばされた。翌年にリリースされたアルバム『Matador』は、ハスリング生活とそれに伴うトラブルの赤裸々な描写や、シーンに対する相変わらずの歯に衣着せぬ物言いに加え、彼らが暮らす新宿や周辺の街の様子を独自の視点で切り取ったリリックに溢れている。

 同じアーティストネーム、というだけで比較するのも変な話だし、スタイル/ジャンル的なアプローチの差異ももちろんある。それでも今、KANと漢を並列に聴いてみれば、時代と環境が変わると同じ若者が歌う音楽の内容もここまで変わるのか、という感慨がある。

 前回に軽く触れたヒップホップにおけるサウンドプロダクションの変化は、もちろん少し遅れて日本にも波及していて、TOKONA-XやDABOといった気鋭のラッパーたちがスキルフルに最新型のサウンドを乗りこなしていた。DABOの「レクサスグッチ」はその時代を象徴する1曲。

 それとは別に、KICK THE CAN CREWやRIP SLYMEが持ち前のポップネスを活かしてチャートにヒット曲を送り込んだり、YOU THE ROCK☆やZEEBRA(現・Zeebra)が深夜番組のMCを務めたりなど、ざっくり言えばちょっとしたヒップホップバブルが生まれつつあった。

 余談になるが、そういった状況に日本のヒップホップを導いた立役者は、なんと言ってもDragon Ash。この連載でも何度か使っている〈悪そうな奴は大体友達〉というラインは、Dragon Ash 「Grateful Days featuring. ACO, ZEEBRA」におけるZEEBRAの歌い出しパートだ。この曲で日本語ラップの存在を知ったという人も多かったと思う。

 そうしたメジャーな流れに噛みつくようなアティチュードで活動し、アンダーグラウンドでの支持を獲得していたのがMSCやTHA BLUE HERBだった。事実、漢は「幻影」「FREAKY 風紀委員」でDABO、ILL-BOSSTINOは「A SWEET LITTLE DIS」でYOU THE ROCK☆といった、当時のシーンの一線で活躍していたラッパーをディスっている。

 THA BLUE HERBには「未来は俺等の手の中」という、モラトリアム渦中の全ての若者を鼓舞するような名曲があって、バンドでシングル2枚をリリースしたものの、まだまだ音楽だけで生活するには程遠かった僕は、イヤフォンから流れるBOSSのリリックに自分を重ねながら、バイト帰りの大江戸線に揺られていたものだ。

THA BLUE HERB「未来は俺等の手の中」

 先達と後進、メジャーVSアンダーグラウンド、パイセンとイケイケの年下、そんな構図から生まれる軋轢を“ディス”という、貶し合いのエンターテインメント(その後の和解も含め)にまで昇華してしまうのがヒップホップのラフな懐な広さだとしたら、当時のもう一つの大きなムーブメントであったインディーズのバンドシーンは、その活動の仕方そのものが、既存の業界システムへの挑戦だったといえるだろう。いち“バンド”がメジャーカンパニーと対等なパートナーシップを築き、ついには自分たちだけのレーベルやマネージメント会社まで設立してしまう……Hi-STANDARDが先鞭をつけたインディペンデントなバンドの在り方は、ただただ理想的に見えた。

 そんな中、もともと僕たちがファンでもあったSCAFULL KINGやCAPTAIN HEDGE HOGのメンバーは、僕たちのデモテープを聴いて、わざわざライブに足を運んでくれたりしている。当時の僕たちからすれば夢のような話である。

 彼らをきっかけに広がった出会いは大きい。ヒップホップ風に言うなら“フックアップ”ということになるかもしれないが、忍さん(渡邊忍/ASPARAGUS)やTGMX(aka SYUTA-LOW TAGAMI)さんからそうした上からの目線を感じたことは一度もなかった。

 音楽さえカッコよければ、年齢もキャリアも関係なく対等。そういったバンドシーン特有の(少なくとも僕たちの周りでの)、縦社会に飲み込まれない風通しの良い人間関係の在り方は、個人的に強く影響を受けた部分だ。

 そうした出会いを重ねていた時期に、the band apartの1stアルバム『K.AND HIS BIKE』がリリースされる。2003年9月のことだ。

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