小沢健二『流動体について』の歌詞は何を伝える? 宗像明将が“多層的な構造”を読む

参考:2017年2月20日~2017年2月26日のCDシングル週間ランキング(2017年3月6日付)(ORICON STYLE)

 2017年3月6日付の週間CDシングルランキングで、2位となったのは小沢健二の『流動体について』。1998年の『春にして君を想う』以来19年ぶりとなるフィジカルCDシングルです。そのセールスの結果は、1995年の『カローラIIにのって』と並ぶ過去最高位。店着日の前日にリリースが発表されるという突然の流れは、2016年のHi-STANDARDの『ANOTHER STARTING LINE』のリリースをも連想させるものでした。

 「流動体について」は、服部隆之によるストリングス・アレンジも鮮やかで、パーカッションの音色にも一癖あるサウンド。それは、1990年代の小沢健二までしか聴いていなかった人々にもすんなりと受け入れられるものでしょう。今回のリリースにあたってテレビ番組で歌っても、1990年代の彼の音楽性との間で違和感を感じた人は多くなかったはず。言い換えれば、2002年の『Eclectic』や2006年の『Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学』といった、1990年代とは方向性を変えたアルバルの収録曲よりもポピュラーな肌触りです。

 そして「流動体について」を聴きながら、この楽曲を小沢健二個人と重ねあわせずに聴くのは大変に難しいと感じました。

 本来、作詞者と歌唱者が同一でも、その視点は必ずしもイコールの関係であるとは限りません。しかし、7インチ・レコードを模したパッケージに入った『流動体について』のジャケット写真は、小沢健二が撮影した子どもの後姿。さらに、インナー写真とデザインは、小沢健二の妻であるエリザベス・コールによるものです。『流動体について』というフィジカルCDを手にした私たちは、CDを聴くまでの間に自動的に小沢健二の家族にも触れることになります。

 「流動体について」の歌詞は、主人公が飛行機で東京へ帰還する情景描写から始まります。その空港が成田ではなく羽田であるという点にも意味はあるのでしょう。この「帰還」もまた小沢健二本人を強くイメージさせます。

 「流動体について」の前半においてのポイントは、主人公が「間違い」に気づいた後に新しい人生を送っている点と、もうひとつの「並行する世界」を生きる自分を意識している点です。「子どもたちも違う子たちか?」という一節には、2児の父親としての小沢健二を連想するとともに、強く踏み込んだ表現だと感嘆させられました。前述のように『流動体について』のジャケット写真は、小沢健二が撮影した子どもの写真なのですから。

 後半において「流動体について」の歌詞には「意思」「言葉」「都市」というキーワードが登場し、歌詞の世界は大きく変容します。

 この後半を聴きながら私が連想したのは、小沢健二の公式サイト『ひふみよ』の「読み物」のコーナーに掲載された「町に血が流れる時」「金曜の東京」「うさぎ!第24話(原発について)ネット公開によせて」「天を縫い合わす」といったテキストたちです。

 特に「町に血が流れる時」「金曜の東京」「うさぎ!第24話(原発について)ネット公開によせて」は、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故を受けて、2011年から2012年までに書かれたテキストでした。そこには、一時期南米を含む海外の国々を訪れていた小沢健二の思想も表れています。同時に、小沢健二の「町」や「都市」への視点も常にありました。

 2016年に書かれた「天を縫い合わす」にも「都市」という単語が出てきます。しかし、ここでは「都市」、そして「家庭」は合理性ではなく「神話の力」で動いていると記されています。「神」という言葉も出てくる「流動体について」は、こうした2011年以降に発表されてきた小沢健二のテキスト群を踏まえて聴くとき、ポップスとしての聴きやすさとは裏腹に、ある種の緊張感をもたらします。歌詞において主人公が自分自身に何度も問いかけているように、小沢健二は聴き手にも繰り返し問いかけているように感じられるのです。

 「流動体について」は、小沢健二の実生活と、フィクションかもしれない歌詞を、聴き手が重ねあわせてしまうような構造です。かと思うと、「都市」に生きる主人公の意思決定の過程を描くという構造にもなっています。こうした多重的な構造の歌詞を抱えた楽曲を、耳なじみの良いポップスとして成立させているのが「流動体について」という楽曲の真の凄さだと感じました。

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