茅島みずき、20歳の現在地と自分との戦い 無垢な声で青春を歌うデビュー曲「ローファー。」を語る

茅島みずき、20歳の現在地

 茅島みずきが、自身が主演を務めるドラマ『霧尾ファンクラブ』(中京テレビ/日本テレビ系)の主題歌「ローファー。」でアーティストデビューを果たした。「ローファー。」は、リーガルリリーのたかはしほのかが作詞作曲。疾走的なメロディに乗るのは、青春の刹那を切り取った言葉たちと、茅島の真っ白な声。彼女がここからアーティストとしてどのように歩を進めていくのか、その予感を膨らませてくれる一曲だ。

 リアルサウンドでは、茅島の記憶をたどりながら子ども時代まで遡り、“茅島みずき”という人間がどのようにして生まれ、どのような道を歩んできたのか、話を聞いた。ここから彼女がどんな俳優、そしてどんなアーティストとなっていくのか、楽しみだ。(編集部)

幼少期に確立された“負けず嫌い”な茅島みずき

茅島みずき(撮影=加古伸弥)

――茅島さんは子ども時代、どんなお子さんだったんですか?

茅島みずき(以下、茅島):とにかく明るい子どもだったので、お母さんには「お調子者」と言われていた一方で、人前に出るのが恥ずかしいタイプでもありました。でも、小学2年生でゴルフを始めたのが大きくて。ゴルフにのめり込むうちに、人前で何かをすることが恥ずかしくなくなって、自分を出せるようになりました。

――おじいさまの影響でゴルフを始めたそうですね。

茅島:そうです。おじいちゃんがゴルフをやっていたこともあって、兄と一緒に始めました。

――ゴルフにのめり込むようになったきっかけは?

茅島:ゴルフを始めて2カ月くらいで、初めて試合に出ることになって。ハーフ102で圧倒的最下位という結果だったんですよ。だけど、私が負けず嫌いなのもあり、「ここからは上がっていくだけだな」「1位になるまでは絶対に頑張りたい!」と前向きな気持ちになって。それから本気でゴルフに打ち込むうちに、プロを目指すようになりました。

――プロを目指されたのは何歳の時?

茅島:明確なタイミングがあるというより、気づいたらそう思ってましたね。ゴルフの練習をするのが日課になっていて。自然と「このままプロになるんだろうな」という感じで。

――一日にどのくらい練習をしていたんですか?

茅島:小学校が終わると親が車で迎えにきてくれて、そのままコースへ行き、夕方にハーフだけ回って。そのあとに打ちっぱなしに行ってダメだったところを練習。まだ外が明るいようであれば、練習用のグリーンに行って「あと○球入るまで今日は帰らない」とルールを課して打ち込んで、家に帰ってからは、パターマットで「○球入るまでは寝ない」とか。夜は窓ガラスに自分の姿が映るので、窓に向かってスウィングの確認をして、一日の練習が終わるような生活でした。

――小学6年生の時には、初めて全国大会に出場されて。

茅島:そうなんです。小学2年生の時から全国大会で優勝することをずっと目標にしていて、4年かかって念願の大会に出られたものの、結果はボロボロ。まわりの子は休みの日に遊びに行ったりしているなか、私は毎日ゴルフを頑張って、自分なりにかなり努力もしたけど叶わなかった。それでちょっと疲れてしまって。ゴルフはちょっと休憩して、またしばらくして再開しようと思った時に、ちょうど事務所のオーディションの話を聞いて。ありがたいことにグランプリをいただけて。それでこの業界に進むことにしました。

――オーディションを勧めたのは、お母さんだったそうですね。

茅島:そうです。“全県全員面接”のオーディション(『アミューズ 全県全員面接オーディション2017 〜九州・沖縄編〜』)で、書類審査がなくて、いきなり面接だったんです。私はゴルフクラブを持って、オーディションに向かいました。

――そこでスウィングを披露されて。

茅島:はい(笑)。会場には昔から芸能界を目指していた子が多くて。みんながダンスや歌を披露しているなか、私はアイアンを持って思い切りスウィングしました。

――そもそも芸能界に興味はあったんですか?

茅島:まったくなかったです。毎日ゴルフの練習をしていたので、テレビを観る時間も全然なくて。でも、録画したドラマを家族みんなで観る時間がたまにあって。当時は興味というより、息抜きとして鑑賞していた感じでした。

――そこからオーディションのグランプリに輝きました。生活は変わりましたか?

茅島:ガラッと変わりましたね。当時は13歳と幼かったですし、ただでさえ私はママっ子だったので、ひとりで上京するのはすごく不安でした。初めての経験ばかりでしたが、東京に出てきたら意外とホームシックになることもなく、楽しく生活できていたと思います。

この業界はお芝居でもなんでも、何が正解なのかが最後までわからない

茅島みずき(撮影=加古伸弥)

――デビュー作は2019年に放送された『連続ドラマW 湊かなえ ポイズンドーター・ホーリーマザー』(WOWOW)でしたが、手応えはどうでした?

茅島:現場でめちゃくちゃ怒られた記憶があります。初めての現場だったので、どう動いていいのかもわからないですし、カメラの前でお芝居するのも初めてで「どうしよう?」の連続。「違う」「そうじゃないよ」と細かく指導していただきながら、撮影の帰りは悔しくて泣きましたね。「役者さんって本当に大変な職業なんだな」って、その現場で強く感じました。

――その年はドラマ『恋の病と野郎組』(BS日テレ/日本テレビ系)のヒロインに抜擢されたほか、『マイナビ presents 第28回 東京ガールズコレクション2019 SPRING/SUMMER』でモデルとしてもデビューされました。

茅島:お芝居に関しては、その頃と今では役作りもアプローチの仕方も全然違っていて。当時も一生懸命に臨んでいましたけど、今振り返ると「全然ダメだったな」と思います。初めて『TGC』に出演した時に、13cmぐらいのハイヒールを履くことになったんです。でも、それまではゴルフシューズしか履いたことがないような子だったから、ヒールでのウォーキングがとにかく大変で。事前にスタッフさんの前でフィッティングしてウォーキングの確認をしたりするんですけど、私は全然歩けていなかったみたいで。マネージャーさんに「茅島さん、大丈夫ですか? 歩けますか?」と心配する連絡がきて(笑)。「これはまずい!」と思い、先生にウォーキングを教わりつつ、家でも歩く練習を何回もして。そのおかげで、本番はなんとか堂々と歩くことができました。またひとつ、成長するきっかけになりましたね。

――翌年には映画『青くて痛くて脆い』でスクリーンデビューされます。2021年には『Seventeen』の専属モデルを務め、連続テレビ小説『おかえりモネ』(NHK総合)で初めての朝ドラの出演を果たし、初舞台『Romeo and Juliet -ロミオとジュリエット-』など、活動のペースが加速していきますね。

茅島:舞台は初めての経験というのもあって、毎日怒られていて。稽古場に行くのが少ししんどいなと思う時もあったんですけど、まわりはベテランの方々ばかりだったので、いろいろと教えていただきながら、必死に皆さんの背中にくらいついてました。舞台はドラマや映画と違ってお客さんの反応が生で返ってくるのが新鮮で、毎公演がとても楽しかったです。

――ここまでを振り返って、茅島さんにとってのターニングポイントはいつでしょう?

茅島:2019年に出演したポカリスエットのCM(『ポカリ青ダンス 魂の叫び』)が、ひとつの大きなターニングポイントだと思います。あのCMで、初めてダンスに挑戦したんです。共演した萩原護くんとMiriさんはダンス経験者でめちゃくちゃ上手。自分だけが置いてけぼりで、毎日泣きながら練習していた記憶があります(笑)。監督に「もっと感情を出してほしい」と言われたんですけど、うまく出すことができなくて、撮影の前日になっても「このままじゃ撮影ができないよ」と言われて。でも、撮影本番はその「できない」や「わからない」を思いきり感情的に表現してみようと思い、自分なりにやってみたんです。そしたら「すごくよかった」と言っていただけて。その経験はとても大きかったですね。

――茅島さんにとって、芸能活動はどんな時間になっていますか?

茅島:ゴルフはスコアがすべてというか、結果がわかりきっているので、どう努力したらいいのかがわかりやすい。でも、この業界はお芝居でもなんでも、何が正解なのかが最後までわからないというか。そこが魅力であり、難しい部分でもあって。日々悩むことばかりですけど、自分でも気づけなかった、新しい引き出しや一面を知れるので「この職業は面白いな」と日々感じています。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる