『ブギウギ』は金言ばかりで夢追い人に刺さる 共感しやすい個性と継続を取り巻く葛藤

『ブギウギ』は金言ばかりで夢追い人に刺さる

 スズ子(趣里)たち歌劇団は窮地に立たされてしまった。『ブギウギ』(NHK総合)第3週目にして訪れた、世界恐慌に始まる不況。賃金はカットされ、人員を削減された。夢追い人が割を食う時代は、今も変わらない。だからこそスズ子たちの葛藤や憂いは、画面を通り越してダイレクトに私たちの胸に届く。

 本格的に趣里が登場した第3週、スズ子は不況以前に悩みを抱えていた。6年の歳月が過ぎリリー白川(清水くるみ)は娘役として、桜庭和希(片山友希)は男役として自分の個性を活かしている。自分も娘役だが、幸子ほどの愛嬌もなければ大和礼子(蒼井優)のようなダンス力もない。自分にとっての売りとは、そして“個性”とは何かについて悩むスズ子の姿は、なんだか他人事のように思えなかった。彼女たちのようなステージの仕事をしていなくても、俳優や監督、書き手や絵描き、あらゆる芸術方面のことをやっている人にとって、この自問自答は大きい。いや、どんな仕事でもこの悩みは誰もが抱えるような普遍的なものだ。同僚と成績の差がある自分は、それを追い越すぐらい何を提供できるのか。

「焦らなくていい。自分の個性みたいなものはね、いつか必ず見つかるから」

 スズ子にそう声をかけたのは、憧れの先輩である大和だった。スズ子たちも後輩ができ、今は以前と比べて先輩たちとの距離が近い。研究生時代に厳しかった橘アオイ(翼和希)とも、今では同じ教育立場としてスズ子が後輩の相談ができるほどになっている。そういう距離感で貰う大和のアドバイスを、スズ子は以前と違う感じ方をするだろう。今はなくても、いつか見つかるからその日までやり続けなければならない。完璧そうな大和でも“継続”の難しさを痛感していたり、「個性“みたいなもの”」という言い方をしていたりするところに、人間らしさが垣間見える。彼女だって、周りの人間がいろいろ言うけれど自分の中で“個性”と確信を持てるものは持っていないのかもしれない。でも、周囲の人間の持つ印象や評価が自分の確信より先に所謂持ち味を作ってくれる時だってある。だから「個性“みたいなもの”」なのだ。このプレッシャーなく感じられる言葉選びを含め、特に第3週はキャラクターのセリフに作品のメッセージや想いが込められているように感じた。

 “個性”の話と並行して進んでいく、“才能”の話。「才能がなければ辞めてしまえ」と研究生を叱る秋山美月(伊原六花)との対話で、スズ子は自分に個性どころか才能さえないと自覚してしまう。それでも、それを自虐ネタのようにしてその場を一旦取り持つのはスズ子だからできることでもある。しかし、同じように才能がないのに意味なく脚本を書き続ける父親に少し強く当たってしまうと、彼の返しに息を呑む。

「才能もないのに書くのが偉いんやろ。辞めたらそこで終わりや。続けるんが一番難しいねん」

 彼の言葉、そして橘の「うちらは続けていくしかない」「それで一つ一つ壁を取り超えていく」という訴えは、好きなことを続けることの大変さを知る全ての夢追い人の胸に刺さったことだろう。悔しくて、惨めで仕方ないことばかりだ。それでも、一番胸に響いたように思うのは「永遠に修行」と言う橘に対して「永遠に修行は嫌やな〜」と泣きの場を一瞬で笑いに変えたスズ子の愚痴だった。“そういうところ”が彼女にしかない、良い持ち味であることに早く気づいてほしいと思ってしまう。

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